


◎「この世」と「あの世」の接点 「実際には存在しない人影」その1黒いひと
「この世」と「あの世」に関する議論は、概ね不毛な内容になっている。
幽霊の存在を信じる者は、「そうあって欲しい」という願望や、また逆に「いたら怖い」という怖れを語るだけだ。これに対し、幽霊を信じず否定する者は「そんなものは存在しないからいない」を繰り返すだけ。後者はただの同語反復になる。
いずれも具体的な事実を積み重ねることを怠り、解釈のみを先行させている。
ああバカらしい。「可能性」の議論に終始することほど不毛なことは無い。
一足飛びに「世界観(神や仏、霊)」による説明に飛び付くのではなく、まずは「確からしい事実」を積み上げ、一つひとつを検証すべきであることは言うまでもない。
「規則に従っているかどうかを検証する」のが科学的な方法論になるからだ。
「そんなのは科学的でない」と口にする人に限って、科学的方法論とは何であるかを理解していない。たぶん、学んだこともないのだろう。
となると、まずは「そこには存在しない筈の人影」に関する資料を集めて行くことが出発点になる。
その意味で、基本になるのが「黒いひと」だろう。
「黒いひと」の存在に気付いたのは、比較的最近で、二年半くらい前のことになる。
神社の神殿の前で私を撮影したのだが、私の前に人は一人もいなかったのにも関わらず、ガラスの前に黒い影が立っていた。
ここは「ガラスに映っていた」のではなく、「ガラスの前に立っていた」ということなので念のため。
黒いシルエットだけだが、どちらかと言えば男のよう。
黒い影だけなので、なかなかそれと認識し難い。見逃すことも多そうなので、試しに過去の画像を開いてみると、同種のものが幾つか見つかった。
二枚目は、前回、「存在しない霧(幽界の霧)」として掲示したものだが、右側に視線を移すと、霧の中に人影が立っている。やはり黒いシルエットだけで、スカートは穿いた女のようだ。もちろん、影を作るべき生身の人間が前に立っているわけではない。
三枚目は、冒頭と同じ神社で撮影したものだが、私の顔の前に黒い髪の女の頭があり、私を隠している。「顔を突き合わせていた」ようだ。
あるいは、この女は後頭部と肩くらいまでしか存在しないのではないか。
別の個所(左側)にも人影が写っているが、こちらには顔がついている。こちらも女のようだ。
実際には存在しない人影のうち、最も多いのはこの「黒いひと」だ。
影だけで「ただ立っている」だけなので、ほとんど気付かない。
しかし、画像だけではなく目視するケースが多いのがこれだ。
いつも「映画の『プレデター』の宇宙人のよう」だと書くのは、この「黒いひと」のことになる。半透明、もしくはシルエットだけの存在だ。
「黒いひと」には、心や意思のようなものがあまり感じられず、声も出さない。
どういう存在なのかが、いまだに分からないのだが、ひとに害をなす存在ではない。
「黒いひと」は専ら自己都合だけでそこにいる。