日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎悪意による変化の有無(535)

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令和二年十月十五日撮影

◎悪意による変化の有無(535)

 木曜は通院日で、帰路はかなりキツかったのだが、思い付いたことがあり神社に参拝した。車から百メートルかそこらの移動なら、まあ、足も大丈夫。

 

 昨年がひとつのピークだったが、「妖怪顔(アモン)」や「白い女」など「どうみても悪霊」に見えるヤツに散々抱き付かれたににも関わらず、そのことで何か影響が生じたわけではない。

 そうなると、「やはり自分は『亡者の群れ』の一員なのではないか」と思う。

 ちなみに、「亡者の群れ」を子どもの頃から何百回も夢に観ている。内容はほとんど同じで、道を歩いていると遠くの方から数十万の亡者の隊列が歩み寄って来る、というもの。

 見るもおぞましい姿の者ばかりなので、必死に逃げるのだが、追い付かれそうになる。

 亡者たちの目的はたったひとつ、私のことだと悟り恐怖心にかられる。

 そんな夢だ。

 幸いなことに、まだ亡者に捕まったことは無い。ほんの十メートルの、ほとんど顔が見える位置まで来るが、まだそこまでだ。一度はぎりぎりで不動明王に助けて貰った。

 

 だが、画像に残る死者の姿は、夢と違い私の体を掴んでいたり、私に抱き付いていたりする。

 ホラー映画ならすぐに何か起きそうな状況なのに、これと言って変化が起きるわけではない。その後も別段、それまでと変わりないのだ。

 最近、ひとつの特徴(または答え)に気が付いた。

 「妖怪顔(アモン)」を含め、別の者が「私の眼を通して外界を眺め、私の耳を通して音を聞いている」と感じることがあるのだが(もちろん、想像だ)、その情報を「先方が利用しているふし」があるのだ。

 

 「それなら、私の眺め方・感じ方が相互の影響をもたらす可能性がある」

 あの世の者はより多く「悪意」に反応するので、悪意を抱いて見たらどうだろう。

 あるいは、そのことで、これまでよりたくさんの幽霊(悪霊だが)が寄って来るかしれぬし、逆にスッキリきれいに無くなるかもしれん。後者はすなわち「同化する」ということだ。

 どういう理由であれ、毎日のザワザワ感が無くなってくれるのは助かる。

 

 そこで神殿前で悪意含みの祈願をした。

内容は「怒りの雷を降らせる」ということだ。

 「この世には自らの虚栄心を満たすために欺瞞を振り撒き、その欺瞞を正当化するために信じ込む者たちがいる。旧約聖書の神は、そういう場合、善人・悪人を問わず、根を絶やすために街や国、あるいは人類を滅ぼした。それなら現代のソドムにも怒りの雷を打ち込むべきだ。火と油の雨を降らせよ」

 ここでは「例え話」に修正しているが、実際には具体的な言い方をしている。この辺からは「呪い」に近くなるので、あからさまに口外してはならない内容になるからだ。

 すぐに自分自身を撮影し、状況を観察したが、別段、普段と変わりはない。

 さすがに、それほど単純なものではないようだ。

 

 あとはいつも通り。

 画像中、緑色のマスクをかけたところに私の顔があるのだが、他にも顔が見える。どうやら私の左頬に女の顔が同化しているようだ。こちらは一枚ガラスの中のことなので、継ぎ目の二重映りではない。左耳が頬からかなり離れていることでそれと分かる。

 個人情報保護のためにマスクをかけているが、これを外せば状況がはっきり分かると思う。だが、他人が理解するかどうかはどうでもよい。私自身が理解し、解決することが目的になる。

 

 ところで、背後には、門の下に「黒いシルエット」が立っている。

 こちらはこの画面上では分かり難いと思う。

 同じ人影の画像を幾度か撮影したが、これはかなり薄らぼんやりしている方だ。

 シルエット自体は女性のようだが、正確には「羽交い絞めにされた女性」だ。

 背後に短髪の男が立ち、女性の胴に両手を回して掴んでいる。

 男は四十台の後半から五十歳くらいで、女児や若い女性を複数殺して、建物の床下に埋めた。死んでも、まだ同じことを続けている。

 これまで繰り返し画像に写って来たので、今はすぐにその男と分かるようになって来た。

 被害者の一人は関東北部(栃木か群馬)の十八歳くらいの女性だ。たぶん高校生で、都心に出て来たその日に男に拉致されたと思う。その日の内に殺され、埼玉西部の水の近くの別荘の敷地内に埋められた。たぶん、床下だ。

 繰り返し男や女性を観ていると、「何となくこんな感じのことがあった」と思うのだが、もちろん、そういうのは想像や妄想の産物だ。似たような事件の情報を断片的に繋ぎ合わせただけかもしれん。

 

 第六感・霊感の九分は想像や妄想だ。様々な情報を繋ぎ合わせ、過去に目視したもの、聞いたものと重ね合わせているわけだが、たまたま現実と符合することがある。

 たまに「人の知り得ぬ事実を言い当てるのは、特別な能力があるから」と見なす者がいるが、結果から要因を特定できるケースはごくわずかだ。

考え方が逆で、「想像や妄想で思い描いたことが、たまたま当たった」と見なすのが正しい。

 それが想像や妄想であれば、当たったかどうかはあまり意味はない。あくまで「たまたま」になる。予言も同じ。

 ま、「たまたま」の話であっても、縋りたくなる時があるし、それしか辿れる道が無い場合もある。

 

 「助けて」という声は聞こえる。今、この瞬間も。