日刊早坂ノボル新聞

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◎幽霊の実体化プロセス (二年前の振り返り)

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令和二年六月十七日撮影

◎幽霊の実体化プロセス (二年前の振り返り)

 これまで観察して来たことから察するところでは、普段の「あの世(幽界)」は、目に見えぬガス状のものだ。

 この一部が集約され、まとまると、まずは眼に見える霧(もしくは煙)になる。

 次に、この霧(煙)がさらに凝集して、人の一部(眼や体)になり、ついには人影となる。

 ここからは推測だが、幽界自体は断片的な感情や記憶で成り立っているのだが、似たものが互いを惹き付け、寄り集まると、「自我」に似たまとまりを生じさせるようだ。

 湖や海の中でも、水の成分に濃淡があり、温度が違うことで、幾つかの層に分かれるが、それと似ている。

 

 画像は二年前のもので、世間に「未知の感染症に対する恐怖」が満ちていた時のものだ。(最初の画像の子どもは、当事者以外には判別が難しいので説明は省略する。)

 恐怖心はあの世と繋がりやすい接点のひとつだが、二枚目の画像の左には透明な煙玉が出ており、その中には、外に出ようとする複数の顔が見えている。

 同じ画像で、私の左後ろに割と鮮明に男の姿が見えている。恐らくこの男もあの世(幽界)から這い出て来た者だ。

 ジャンパーや腕などが確認出来、たまたま別のものがそう見えたものではないことが分かる。ここは神社の神殿の前で、私の後ろは板塀と門の先かなり遠くに樹々があるだけだ。

 男は一人の姿に見えるが、複数(の幽体)が凝り固まった存在だ。

 女児を捕まえており、良からぬことを考えているのは歴然だが、同じような執着心を抱えた者の執念や悪意が凝り固まったものだろう。

 拡大すると、男には体のあちこちに眼が開いている。

 子どもを攫う悪人は、死んでもその性癖を持ち続けるものと見える。

 

 実際にはそこに存在しない人影(要は幽霊)は、朧気のことが多いのだが、このケースは、これが人影に見えぬ人の方が少数派だ。

 男の首の周りには、白い煙が見えているが、これが「幽界の霧」で、幽霊たちの本質だと思う。

 

追記)男の顔には眼が七つ八つ開いている。

こういうレベルになると目視でも見える場合があるから、昔の人が「妖怪」をイメージしたのは、案外根拠のある事かもしれぬ。

 

 左側に見える煙玉はまるでマンホールの穴のようで、中に複数の顔がひしめいている。さすがに気色が悪く、つくづく「あの仲間にはなりたくない」と思う。

 これぞ「亡者」で、亡者たちは救いを求めて、ひたすら右往左往する境遇にいるのだろう。

 どういうわけか私は亡者の側から見られやすい状況にあるようで、この手の画像がやたら多いし、目視もする。

 子どもの頃から「数十万の亡者に追われる夢」を見続けているが、それも現実と繋がっているからなのだろう。

 ちなみに、それで良いことなど何もない。障りを被る機会が他の人より増えるだけ。

 

 さて、今回の教訓は、「死んで終わりになることなど何もない」ということ。

 今生の生き方や考え方は、総て死後に反映される。

 悪心を抱えた者は、死後、その悪心に支配され、生前と同じことを繰り返す。

 死んでもけしてチャラにはならぬことを思い知るべきだ。