◎座敷童は可愛いらしいヤツじゃない
近々に手術を受ける知人女性のために、座敷童のキーホルダーをお守りとして渡した。
ま、気休め程度だが、ないよりあった方が「よりまし」だ。
それが「届いた」という連絡が来たが、「座敷童はもっと可愛い姿をしているのかと思っていたから意外だった」そうだ。
えええ。あの世の者としては、もの凄く可愛らしいと思うが、見慣れぬ者の目には多少、怖く映るらしい。
当方はいつもべろべろ、ゲロゲロの者を見ているせいか、幽霊の姿で動じることは無くなった。
悪霊でなくとも、幽霊は顔が気持ち悪い。血が通っていない上に、感情だけの存在だから、本心が丸だしだ。人の本心ほど醜いものはない。
当方に縁のある幽霊には、巫女着の女性がいるのだが、時々、危機の際にそれとなく導いてくれる。手を出して助けることは無いが、自ら進行方向を修正するように示唆する。
明確な味方なのだが、この女性ももの凄く冷徹な表情をしており、直接見れば後退りしてしまいそうなほどだ。
知人の女性には意外だったようだが、「早速、鍵を着けていつも持っているようにする」と言っていた。
ところで、座敷童伝説は数々あるが、「そこにいない筈の子どもに会った」、「後に幸運が舞い込んで来た」みたいな話はあるが、そもそもそのワラシさまが「可愛らしい姿をしていた」などと言う話はひとつもないと思う。
元は人間が変じた者で、幽霊の仲間だから、佇まいは少し気色悪い筈だ。顔が悪いからと言って悪人とは限らんように、怖い顔をしていても福の神は福の神だ。
小学生の頃、築百五十年の母の実家に泊ったことがあるが、深夜二時頃にその家にはいない筈の子どもに会った。摺りガラス越しに顔を見たが、その子の顔には両眼が無かったと思う。
さすがに夜泣きをした。
携帯の待ち受け用に、お稚児さまの画像を再添付しておく。
送信用にサイズをかなり小さくしたので画像が粗くなっているが、スマホではちょうど良くなる。
自分自身で会わねば功徳は薄いと思うが、ゼロよりははるかにまし。