日刊早坂ノボル新聞

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◎再び「ノースリーヴの女」が来ていた

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2月14日撮影画像

◎再び「ノースリーヴの女」が来ていた

 14日の画像を詳細に検分すると、私(ほぼサングラスだけ)は、ノースリーヴの女に背後から抱き締められていた。

 昨夏にもおなじように抱き付かれたことがあり、その時と同じ女だと思う。

 時々、ご供養するのだが、この女の幽霊もなかなか成仏できない。

 (なお、私は「成仏」を「魂の寛解」と呼んでいるが、同じ意味だ。)

 

 この日の私は全身黒づくめの服装だったのだが、首の周りには白いマフラーみたいなものが巻かれている。おそらく煙玉が連なったようなもので、私の標識のようなものだと思う。おそらく、これが見えるから、周りから幽霊が集って来る。

 神社猫のトラは40メートル以上離れたところから私を見つけ、すぐに歩み寄って来たが、おそらくこれを見ていたのだろう。トラもオレンジ色の煙玉を発しており、一度、これが画像に残っている。

 

 見ようによっては、まことに気色悪い絵面なのだが、今では何とも思わない。

 その筋の人は「憑依」だなんだとワアワアと言うだろうが、何ひとつ見えていないし、分かっていない。大体、不鮮明な写真すらも撮影出来ない。

 こういうのはどうと言うこともなく、ごく日常的に誰の身にも起きている。

 

 私の前には、もう一人女性がいてがっちり私を防御していると思う。こちらは私が「御堂さま」と呼んでいるワンピース(もしくは着物)を着た女性だ。

 外見の上では、後ろの女はものすごい美形なのだが性質は良くない。

 「御堂さま」は怖いくらいきりっとした表情なのだが、いつも私を見守っているようだ。外見は心根とまったく関係ないのは、生きている人間と同じだ。

 ま、これらはかなり可視域が広い人でないと認識できない。

 また、見えたものは事実の一端だが、その背後のストーリーは総て想像だ。

 いつも書く通り、霊感は想像や妄想に過ぎない。

 現実と符合していようが、あるいは符号していまいが、元々が想像や妄想なのだから関係ない。何を言い当てたところで、そもそも想像であり妄想だ。

 これは「予言」と同じ理屈で、そもそも「予言」はイメージに過ぎない。その語ったイメージがその後の現実に近かろうが、やはりただのイメージだ。幾つか合致する出来事があったからと言って、そこに特別な意味があるわけではない。

 南米の予言者は毎月のように「日本のどこかで地震が起きる」と予言している。

 いつかどれかが当たるのだが、だからと言ってさしたる意味はない。「数打ちゃ当たる」という意味でもあるし、「そもそも妄想」という解釈もある。

 

 さて、最初の画像の右側に写っている少女の表情は、割と誰でもそれと認識できると思う。

 何百回も同じ場所で、同じ景色を見ていると、小さい変異がはっきり分かる。

 

 ノースリーヴの女は救済を求めているのだろうが、執着心を抱いているものは何なのだろう。説明してくれれば、何がしか慰めることが出来ると思うが、今はお焼香をするくらいしか手立てがない。