日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎一年経っても障りは無くならず(続)

一年経っても障りは無くならず(続)

 その当時は、意味がまったく分からなかったのだが、N湖の特定の地点に行くと、「声」が聞こえ、人影が動く。そこで状況を確かめるべく撮影するが、あまり鮮明には写らない。

 とにかく「嫌な気配」が充満している。

 たまたま赤外線カメラを持参していたので、この地を撮影してみたのだが、普通のカメラと状況は同じだった。

 びっくりするような事態には至らぬのだが、どこがどうというわけではなく気色が悪い。

 もっとも大きな要因は「声」だ。常に「ぶつぶつ」と誰かが話す声が聞こえる。

 当初は反対側の岸に居る釣り人の声だと誤認していたが、数百メートル先の人声が、如何に湖面に反響しようと、ここまで届くわけがない。

 不思議に思い、幾度となく訪れることになった。

 状況に推測が付くまでは、何か月もかかった。もちろん、総ては推測であり想像の域だ。

 ここにどういう背景があり・・・、などとはだれも話してくれぬし、そもそもあの世の理屈など、生きた人間には誰にも分からない。

 

 「穴」の近くには、「人面に似た標識が出る」と記したが、これを赤外線撮影すると、周囲より一段温度が低いことが分かる。日差しが当たっているから、温度が上がり明るく映る筈だが、この地点だけ真っ黒になっている。

 これは「黒いひと」の理屈と同じだ。

 赤外線カメラでは、赤外線を発していないところ、もしくは反射していないところは黒く写る。

 全身が真っ暗な「黒い人影」が現れることがあるのだが、人のかたちを切り取ったように、そこだけ温度が低い。もしくは赤外線をまったく発していない。

 こういう特徴も、「穴」が「とにかく薄ら寒く感じる」理由になっている。

 

 視覚はそれほど信頼するに足りず、「見ようによって見たいものが見える」性質があるわけだが、源の分からぬ「声」が聞こえ、さらにそれを複数の耳が捉えるとなると、単なる妄想の域とは少し異なるという判断の方が適切だと思う。

  最初のうちは、自分自身の知覚異常を疑ったわけだが、理屈に合わぬ面が続出する。

 

 他の者から見ると、まさに「おかしい人」「いかれた人」に見えるし、現実にその通りだと思う。だが、ルールを知り、それに沿った対処を講じると、ほれこの通り、簡単には死なずに済む。

 

追記)岸辺の女

 橋の上から下を覗き込むと、岸辺に半透明の女が立っているのが見える。
 これは目視の時と撮影した時とで見え方が変わらない。薄らと「人影?」らしきものが見えるだけで、確信はない。気のせいかもしれん。
 これが「けして気のせいではない」という結論に達したのは、何十日目かに、「女」が顔を上げてこっちを見たからだ。
 私が興味を持ち、幾度も覗き込んだから、何時の間にか接点が生じていたのだった。

 

追記2)何とも言えずこの二つの個所が「気色悪い」と感じるのは、この位置が「人面に見える」ことに加え、「周囲より温度がかなり下がっている」ことによる。目には見えぬ違いを感じるということだ。

 これは可視域の広さに関係しているから、「たまたまそう見えただけ」だけではなく、「気色悪い」と感じる人は、幾らかあの世的異変を感じやすい性質だと言える。