日刊早坂ノボル新聞

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◎夫婦問答 蘊蓄合戦 9/5 「OKの意味」「盛そばと笊(ざる)そば」

◎夫婦問答 蘊蓄合戦 9/5 「OKの意味」「盛そばと笊(ざる)そば」
 朝、家人を駅まで送る時にする夫婦の会話より。

◆「OKの意味」
 家人は小学校の英会話講師だ。その家人がダンナに問う。
 「トーサンはOKが何の略語か知ってる?」
 おお、考えたことがないぞ。
 「out of knowledge。これじゃあ、『しらんけど』か」
 すると、家人の答えは「All Correctなんだよ」。
 え、それじゃあ、ACじゃないのか。エーシー。
 「誰か、英語圏の人でない人がスペルを間違えて、これが簡単で便利だと言うので、十九世紀にアメリカで使われ始めた。その後でイギリス人も使うようになったんだよ」
 「でも、そのスペルを間違えたってのは、誰なんだろうね」
 ここから先を追究するのが、ウィキを越える蘊蓄だ。

 「俺はスペイン語圏の人だと思うね。スペイン語では子音より母音の方が明瞭だ。一方、CもKも発音が同じだから、たまたま間違えたというわけでもない。聞こえた通りに聞き、そう書くのがスペイン語圏だ。南米とかね」
 「じゃあ、調べてみる」

 

◆「盛蕎麦と笊蕎麦の違い」
 「じゃあ、お返しに俺の方も蘊蓄を返すぞ」
 「何?」
 「もりそばとざるそばの違いは、多くの人が海苔のある無しの違いだと思っている。蕎麦を盛ったのが盛蕎麦で、さらに海苔を載せたのが笊蕎麦だ。本来は盛蕎麦と海苔蕎麦なのだが、『もり』と『のり』では聞き間違える。そこで区別のために海苔の方を笊蕎麦に名前を変えた。両方とも蒸篭に載せて出すのが普通で、笊は使っていないんだけどね」
 「それが正しくないの?」
 「本当は、盛蕎麦と笊蕎麦は成り立ちがまるで違っていて、蕎麦の配合や打ち方、つゆのつくり方まで違うものらしい。今は蕎麦屋でも知らない人が多いけどね」
 昨日、ネット検索して得た「聞きかじり」かつ「知ったかぶり」の知識だから、その先はまだ知らない。
 「今度、詳細を調べて置くから」

 これだけではあんまりだから、少し話を付け足すことにした。
 「蕎麦の食べ方で、よく『蕎麦はつゆを先にほんの少しだけつけて食べるのが通だ』と言うだろ。あれは嘘なんだよ」
 「え。どういうこと?」
 「まず、冷たい蕎麦を食べるのは江戸中心の食文化だ。当たり前だが、寒いところでは温かい汁に入れて食べる。盛蕎麦なんかはまさに江戸の食べ方だ。その江戸時代には、蕎麦のつゆは出汁醤油だった。今の醤油を出汁で割るのではなく、醤油に昆布だのを入れて出汁味を加えた。だからかなり塩辛かった」
 「なら、つゆを少しだけつけるというのは」
 「しょっぱ過ぎて食べにくくなるから、蕎麦の先に少しだけつけることで良かったんだよ。蕎麦通だけがそうして食べたのではなくて、そうしないと塩辛かったという現実的な理由だ」
 「それじゃあ、今ではつゆが甘いから、全部浸してもいいんだね」
 「その通り。今時『通は少しだけつける』というのは、歴史を知らぬ者の知ったかぶりだ」

 で、ここからが蘊蓄。
 「江戸の蕎麦文化は、今ではほとんど失われたが、今も残っているのは関東西部で、蕎麦つゆがやたらしょっぱい地域がある。俺は埼玉西部で、地元の人に手打ちそばを振舞って貰ったことがあるが、つゆがしょっぱくて参った。学生時代のことで、教授たちは早々に手を上げ、弟子に『これも食え』と渡して寄こした。もてなしだから残すわけにも行かず、かといって塩辛すぎて食べられない。で、十枚くらいを渡された」
 その時は、心底より参ったのだが、半分で勘弁して貰った。
 ちなみに、関東では、昆布と鰹節で出汁を取ると思うが、私の郷里では、昆布と煮干し、野菜で、味付けが塩ベース。醤油は色付け程度だった。
 「だから、東京に初めて来た時に、蕎麦の汁が黒くてびっくりした。よく『関西では薄いが、関東では黒い』と言われ、その東にいれば全地域が醤油色だと思われるが、どこで食べても汁が真っ黒なのは関東地方だけだ。東北では五十キロごとに仕立てが違う」
 子どもの頃から祖母の打つ手打ちそばを食べて育ったが、汁はほとんど透明だった。

 だが、ほんの二十キロ先の隣市では、関東風の醤油色の家もあった。たぶん、昭和三十年台から四十年台の経済が活発だった頃に、味の文化交流が進んだためではないかと思う。