日刊早坂ノボル新聞

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◎言われてみれば当たり前

言われてみれば当たり前

 国際プロレスが崩壊し、所属レスラーたちは全員が失業した。主なレスラーは、ラッシャー木村さん、グレート草津さん、ストロング小林(金剛)さん、アニマル浜口さん、マイティ井上さん、寺西勇さん、アポロ菅原さんなどだ。

 このうちの幾名かが、新たな職を求めて他団体に向かった。

 木村さんや浜口さん、井上さん、寺西さんらは国際血盟軍として、最初は新日のリングを目指した。

 この辺から先のエピソードは、大体の人が知っていると思う。

 

 木村さんらは、形式上は「殴り込み」みたいなかたちで新日に行ったが、実際には普通に交渉して契約した。

 国際軍団の大将が木村さんだったが、その木村さんの試合は、基本的に「負けブック(契約)」だったそうだ。これは、最初から「最後は負ける」ということが織り込み済みの契約ということだ。

 妻子を持つ身だ。失業中のところを試合させて貰えることになったので、負け契約だろうが不満はない。ゼニをくれるのなら誰でも同じことをやる。

 木村さんたちは、「有難い」と思っていた筈だ。

 これが、木村さんの最初のマイクアピールの「こんばんは」に繋がる。

 要は己の立場に対し正直かつ律儀だった、ということだ。

 

 新日では「悪役」かつ「負け役」の役割が徹底されていたから、木村さんは、そんなことは知らぬ観客から卵を投げつけられたり、自宅に落書きされたり、飼い犬を殺されたりしたそうだ。

 そういうのも興行を盛り上げる務めのひとつだ。

 ところが、そういう役割を務めてくれる外様に対し、礼を言うどころか、新日の扱いはあまり良いものではなかったらしい。

 ま、トップが猪木さんだし、その時その時で話がくるくる変わりそうだ。

 典型的な例が、二度目か三度目だったかの「木村VS猪木」戦で、試合の当日まで、木村さんは腰の怪我のために入院していた。腰痛で動ける状態ではない。

 ところが、欠場扱いにはしてくれず、「中止には出来ないのでどうしても出ろ」と言われたから、木村さんは病院から会場に行った。

 この試合はテレビでも流されたが、やはり木村さんは何かが出来る状態ではなく、猪木さんにひたすら殴られて終わった。

 前半は立っていたが、後の方は横たわっていただけだ。

 国際プロレスの巡業を観ていた者は、「これは木村さんん本来の姿ではない」と思った筈だ。あるスポーツ紙が小さく記事に書いていたから、この状況が分かったわけだが、それはかなり後になってのことだった。

 

 こういう境遇が嫌になったのか、血盟軍の一人、浜口さんは軍団を離れ、長州さんらの許に走った。

 木村さんたちも、新日に見切りをつけて、全日のリングに上がるようになった。

 この先がスゲーと思うのは、やっぱり「全日でも負け役だった」ということだ。ここぞという時に、相手選手を引き立てて負けるのが仕事だ。ハンセンやブロディに対しては、最後にラリアットやニードロップを食らって負ける。

 よって、負けるべき時が来たら、絶対に起きて来なかった。

 

 80年代の初めに、早稲田通りを歩いていると、高田馬場の駅の手前に、木村さんが立っていた。

 スナック街の入り口だから、飲みに来たのかもしれんが、木村さんはびしっとスーツを着ていた。

 画面で見ると、全日は周りに190㌢台の選手が多くいたから、木村さんが小さく見える。だが、実物はとんでもなく大きい。

 私はそれをは一瞥して「ラッシャー木村が道を塞いでら」と、少し退いた。

 歩道の真ん中に立つと、脇をすり抜けるのが難しそうに見えるほどだ。

 ガタイがぶ厚いので、「木製のバットで殴っても、こういうヤツにはきかんだろうな」と思った。金属バットならまあナントカ。

 

 だが、木村さんは私が近づくと、体を下げて道を通してくれた。後の印象の通り、木村さんは礼儀正しい人だった。

 国際プロレス時代には、巡業が年間二百日を超えていたという。

 木村さんは、連日、ジプシー・ジョーやマッドドッグ・バション(不確か)らと金網デスマッチを展開していた。

 父や叔父が相撲やプロレスが好きだったので、私も岩手県盛岡市内や西根町、岩手町の巡業に連れて行かれたことがある。

 木村さんは毎日のようにメインイベントの「金網デスマッチ」に出ており、必ず流血するから、傷口が渇く暇がなかったろう。

 今は「ようつべ」で、80年代くらいのプロレスを観ることが出来る。国際のレスラーは基礎がしっかりしているから、それぞれ味がある。マイティさんにせよ、寺西さんにせよ、「ここはスゴい」という取り柄を持っている。

 この当時の私は子どもで、新日、全日時代を通じ、「国際出身のレスラーは少しトシを食っており、いつも必ず負ける」という眼で眺めていたが、それは形式的な「勝ち負け」ばかり見ていたからだった。

 だが、試合そのものが「負け契約」だったとなると、眺め方がまるで変わる。

 プロレスは「常人を超える肉体と技の応酬」を見せるものだ。

 勝った・負けた以上に、せめぎあいをどう成り立たせるかが腕の見せ所だと思う。

 木村さんたちは、全日でレスラー生活を終えたわけだが、馬場さんはビジネス本位できちんと対応したから、国際レスラーたちも最後は「安住の地」に恵まれたと思う。

 新日とは扱いが違ったわけだが、それまでの労苦が報われた。

 

 ま、この辺の考え方ひとそれぞれで、全日のハリー・レイスやニック・ボックウインクルの試合を「味がある」と思うか、新日ファン的に「かったるい」と感じるかの違いだろうと思う。

 

 木村さんは、一時期、全国のプロレスファンから憎まれた。  

 「悪役の負け役」を「自分の務め」と割り切って、きちんと演じて見せるところは、大人だし、筋金入りのプロだと思う。

 不遇な状況で、それでも持ちこたえて見せるかどうかが、その人の真価の見せどころだ。

 「良い格好」もせず、もちろん、「言い訳」もせず、自分の役に徹する姿勢は、見習うべきだと思う。