◎病棟日誌 悲喜交々 10/26 「スプーン」
この日のエレベーターの四文字熟語は「自▢自▢」だった。一瞬、これも沢山あるのかと思い掛けたが、思い出せるのは「自作自演」しかない。あとは「自給自足」くらいか。あっという間に答えが出て「自我自賛」に。うーん。ネタにすらならん。
看護師のユキコさんが「調子はどうですか?」と訊くので、「腰のあたりに女がしがみついているので調子が悪い」と答えた。師長とユキコさんだけは幽霊の画像を見ているので、率直な感想を言える。周囲に聞かれると、その途端に「イカれたひと」になってしまうから、ごく小声だ。
「二十七体くらいついて来ていたが、今は七八体ですね」
「お祓いとかしないのですか?」
「あまり効き目がないですね。自分自身で心中を調べ、余所者を排除していく外はありません。祈祷は圧力で押し出すのと同じなので、遠ざけられるのは少しの間です。また程なく戻って来るけど、そのことを祈祷師や自称霊能者は言わない。リピーターは有難い存在ですから」
朝、病院のベッドでする話ではないなあ。
食欲はまったくなし。夕食を家族のために作っても、自分はおじやか良くて納豆飯。稲荷の時と全く同じ症状だ。
ま、病院にいる時は病院めしは少量だから、まあナントカ。
この日の病院めしは「鰆の餡掛け」だった。
酸っぱそうだが、誰かがクレームを言ったようで、見かけほど酸味が少ない。
侍の食事は「一汁三菜」だったと思ったが、病院めしは無汁三菜。だが、ひとつはデザートだから、実質的には「二菜」になっている。
そのデザートがムースなのだが、配膳担当が忘れたか無視したかして、スプーンがついていない。
ムースみたいなドロドロ状のものを箸で食うのは難しいぞ。
スプーンも「普段は気が付かぬが、ないと困る」性質のものだ。
眼だって、脚の小指だって、腎臓だって、心臓だって、普段はその有難さに気付かない。有難さどころか存在にも気付かない。
だが、ちょっと足りぬだけで、生活がトコトン滞る。
夕方、家人が帰って来た時に、最初に掛けた言葉は「いつもスマンな。お前は俺にとって必要不可欠の存在だ」だった。
こんなロクデナシの旦那なのに、放り出さずにいるだけで有難い話だ。
家人の返事は「なに?どうしたの?気持ち悪い」だった(w)。
果たしてコイツはダンナのことを「いないと困る」と思っていることやら。
私のことを「いないと困る」としがみついて来るヤツは、まだ七体くらいいる。今はやはり平坦な道を歩くのにも足が重い。