◎病棟日誌 悲喜交々 10/3 「豆腐ぐちゃ丼」
左目のガーゼが取れたので、車で病院に行った。前は見えるのだが、左右の視力差で景色が歪んで見えるから、結局、左目を瞑り、右眼で見る。しばらくはこの調子で、たぶん、眼鏡をかけるようになると思う。
真向かいのベッドは七十台のジーサンだが、看護師に「心臓の検査の予定を入れましょうね」と言われると、「俺はもう良いよ」と答えていた。確か、最近、酸素濃度が90を切るようになったので酸素吸入器を使うするように勧められていたが、心肺機能が落ちているらしい。
「俺はもう悟りを開いた。あとは天に任せ、心臓の治療はしない」
検査はともかく治療はもう受けないらしい。
この気持ちはよく分かる。これまでの「手術だり何だり」を繰り返して来たし、もう高齢なので「十分に生きた」ということだ。
当方も「今後は心臓の外科治療はしない」方針だ。手術もカテーテルも結構。息子が社会人になれば、もはや生きることに固執する必要はない。
ま、今はそんなことを言っても、倒れれば意識が無くなるだろうし、周りに医療従事者が沢山いるから、勝手にやられてしまうかもしれん。早いとこ紙に書いて置くことにする。
この日の「病院めし」は野菜天丼だった。
天ぷらを揚げる前にも先に湯通しをするのだろうか。
生野菜や果物を食べぬのはカリウム制限のためだが、普通に揚げるとカリウムは中に閉じ込められる。
塩気の少ない食事に慣れてしまうと、外食した時に塩辛過ぎると感じて困る。今やこっちが普通の食事になった。
食堂の出口で「お茶屋のオバサン」に会った。
日焼けの感じから、勝手にそう頭の中で呼んでいる。
五十台の半ばで、たぶん、旦那さんはいない。当方の見立てでは、七八歳上のダンナだったが、もう亡くなっている。
子どもは二人いるが、二人とも嫁に行き、今は義母と二人で暮らしているのではないか。(以上は勝手な憶測だ。)
この女性は食が細く、食事を一二分で終える。
殆ど手を付けぬわけだが、消化器系の持病があるとそうなる。大腸癌から腎臓を壊すルートもあるから、そっちの流れで病棟に来た。本来の病気で死なぬと、薬などの影響で腎臓が壊れる。
自分自身が経験したから、「どうやっても食事が喉を通らない」気持ちがよく分かる。素麺とか雑炊が食べられるうちは、まだ軽い方で、それを過ぎると、一切を受け付けない。
見るに見かねて、半年前から食べ物の助言をしている。
「そぼろ飯」とか、病人でも喉を通る食材の工夫だ。
この日、その「お茶屋のオバサン」に会うと、「こないだのは食べられました。また教えてください」とのこと。
こないだのは・・・なら、「豆腐ぐちゃ丼」だな。
絹越し豆腐をぐちゃぐちゃに掻き混ぜると、とろろ(山芋)のようになる。これをご飯に載せ、刻み葱と摺りおろし生姜をかけるだけ。あとは醤油か麺つゆを少々。
これが長女が小学生の時に発案した「豆腐ぐちゃ丼」だ。
父親(当方)は顔を顰めてこれを眺めていたが、昨年、どうしてもご飯が食べられぬ時に、これを思い出して食べると、なんとまあ、これが美味しい。特に「生姜と葱」がポイントだ。
これを思い出し、お茶屋のオバサンに「とろろご飯は食べられないでしょうけど、豆腐なら食べられるんですよ」と教えたのだった。
だが、こういう人にとって、一番の食欲増進法は「誰かと一緒に食べる」ことだ。
義母と一緒にいる気配がするけれど、たぶん、そちらも介護が必要な年齢だ。いつも世話をする側だから、自分の食事が出来ない。子どもたちはたまに来るだろうがいつもではない。
一緒に飯を食う友だちを作り、話しながら食べると、普段より多めに食べられる。
当たり前のことを、あえて指摘するのは、それが長患いの者には最も難しいことだということ。健康であれば家族や友だちと交流するのは「何ということも無い当たり前のこと」だが、病人にとってはそうではない。
で、ここで「お茶屋なんだからお茶の生葉は簡単に手に入るよな」と気付く。
生茶葉は食材としても有望なのに、これを利用する人が少ないのは、単純に手に入りにくいから。
とりあえず、お茶飯(ご飯と一緒に炊く)からではないか。
(ま、そもそもあの人が見立て通りの「お茶農家」の人かどうかが問題だが。)