日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎今日のセルフチェック  

 

今日のセルフチェック  (650回以後はカウント停止)
 数日前に、駅まで娘を迎えに行く際に駐車場で「蜘蛛の巣」が顔に掛かった。蜘蛛が巣を張れぬ開けた場所だったので、典型的な「寄り憑き」症状だと思う。
 そこで、眼科検診から帰宅した後、神社までセルフチェックに行くことにした。たまたま、家人が休みだったので、家人については、彼岸花の公園の入り口まで送って行くことにした。

 当家の車は既に二十五万キロ以上走行しているから、かなりのポンコツになっている。最近ではマフラーの天板にヒビが入り、「カラカラ」という振動音がするようになった。煩いが、どうせ数か月後には、廃車にする予定なので、それまではこのままで乗る。

 出発して間もなく、家人が気付いた。
 「今日は音がしないね。自然に治るわけじゃないのに」
 耳を澄ましても、あのカラカラ音が聞こえない。
 「一人か二人分重くなっているから、押さえつけられているかもしれん」
 ブラックジョークを言ったが、「蜘蛛の糸」の話をしていないので、家人には伝わらない。

 家人を公園の入り口まで送り、私自身はホームグラウンドの神社に向かった。
 神殿でガラスに映る自分の姿を撮影したが、二枚目に私の右手が「鬼の手」になっていた。
 これは、この神社だけで、年に数回ずつ起きる。
 これが映る時の位置も様々なので、ガラスの問題ではなく、私の問題だと思う。
 ま、自覚症状はあるから納得だ。
 何せ、はっきりと「蜘蛛の糸」の感触を憶えている。

 私には、私の両肩に手が載っているように感じられる。
 三枚目には、かなり朧気だが、女性の姿が見えているので、神殿の前で「後ろにいた女が私の前に出た」という状況だ。
 なるほど。
 目立つのはこの女なのだが、他にも複数がコテコテと寄り憑いている感じがある。

 帰路に車の音に気を付けると、今度はしっかりカラカラと鳴っていた。
 「なら、やっぱり神社で降りたんだな」
 音はかなり煩いから、治ってくれればよかったのだが。

 当家の駐車場はレンタルだが、車から降りると、隣の家の人に会った。
 「Sさんのご主人が亡くなったらしいよ」
 Sさんは、駐車場の地主で大家だ。
 「数日前には普通に畑の手入れをしていたようでしたが」
 急に亡くなったわけだ。大家なので、葬儀には何らかのかたちでお悔やみを述べることにする。

 ここでようやく気付く。
 「あの蜘蛛の糸はこういうことか。ご主人の死期が近いことを悟り、寄り集まって来たが、目の前に私がいたので、つい私の方に寄り憑いたのだ」
 どういうわけか、私は「あの世の者」からよく見えるらしい。
 ま、一度は死んだことがあるからだろう。
 あちら側で生起していることは、同時進行的にはよく分からぬことが多い。
 しばらく後になり、パズルが一つひとつ納まって、ようやく起きていた出来事の意味が分かる。

 

追記)重要なことを書き洩らしていた。
 家人は、その公園を散策中に「自分の名前を呼ばれた」と言う。
 この日は雑踏の中にいたから、空耳の可能性性もあるが、実際に呼ばれているかもしれん。
 「それはダメなやつだ。答えたり反応したりしたらいけない。家に戻る時には玄関口で清め塩を振る必要がある」
 名前を呼ぶのは、自分の声が聞こえるかどうかを試す行為なので、返事をしたり、キョロキョロと周りを見回したりすると、その反応を見て「コイツは行ける」と後ろをついて来る。

 昔、都下S公園を女子と歩いている時のこと、その女子がトイレに行き、独りになった時に私はベンチに座っていた。
 その時に、唐突に名前を呼ばれた。具体的には「下の名前で呼び掛けられた」だ。
 周囲を見回したが、近くに人はいなかった。この後、あまり良いことが無く、結局その女子とも疎遠になった。
 私の時には一度だけだったが、普通は下の名前を二度呼ぶことが多いようだ。

 例えば、「タカシ。タカシ・・・」(余韻がある)。
 この声は、はっきりと聞こえるので、これを聞いたらきちんと厄除けの措置を施すこと。