日刊早坂ノボル新聞

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◎シベリアの穴から響く声

シベリアの穴から響く声

 シベリアに火山性の穴があり、深さを測れぬほど深いという。

 この穴にごうごうと轟音が響くのだが、その音に混じって、人の叫び声が聞こえるのだそうだ。

 人が耳にする音は、総てが物理的な音ではなく、「沈黙の音」みたいに現実の音ではないことがあるから、「聞こえる」ことは直ちにその声の主がいることにはならない。

 ちなみに「沈黙の音」とは、実際には静寂の中にいるのだが、テレビの放送終了時に流れる雑音のような「ザーザーという音」が聞こえる気がすることを指す。

 ロシアの地元の人は「地獄から聞こえる声」だとして、穴を恐れているそうだ。

 

 私の最大の欠点は、「つい興味を持ってしまう」ことだ。

 「シベリアの穴」から聞こえるという音源はネットを検索すれば拾えるので、それを聞いてみた。もしかすると、「あの世」の実態にさらに近付けるかもしれぬ。

 そう考えて、その音を聞いてみた。

 それを聞いた直後、私は酷く後悔した。

 声は確かに人が「嘆き悲しむ」、あるいは「呻く」声だった。

 しかも、この春に私のスマホから勝手に「憑いた」「憑いたぞ」と流れて来た声と同じ響きをしていた。

 

 それ以後、もの凄く気分が悪い。

 この日は病院から帰り、夕食の支度をした後、腰を下ろすと同時にふっと寝入っていた。

 眠りにつくと、すぐに誰かの声が聞こえた。夢ではなく、暗闇の中で誰かが囁く声だ。

 そこで何者かが話していたのは、こんなことだ。

 昨年の秋に障りを得て、死に間際まで追い込まれたわけだが、七月に一応は死の危機を脱した。だが、「障り」は終わったわけでは無いこと。 

 

 「障り」は人(生きていれば個人)に対するものだが、正確には私に降り掛かっているのは私個人に対する「障り」ではないこと。あの世で「変動(相克)」が起きており、戦いのようなものが起きている。私は半ばあの世と繋がっている部分があるので、影響を受けること。

 

 今まで以上に、生きた者への「寄り憑き」が起きるので、「その考えが果たして自分本来のものであるかどうか」をよく注視する必要があること。

 実際、私はこの数日でまた悪縁を拾ったらしく、心中は絶望感に満ちている。「もう生きていたくない」と感じるのだが、よく考えると、別に人生を放棄する程のことはなく、自分本来の考えではないと分かった。

 

 これは特定の者(私)だけに起きていることではなく、皆に起きている。このため悪意が様々な場面で表出する。犯罪や戦争が起きやすい状況になっている。

 あとは私個人に関する個々の状況に対する説明だった。

 話の終わり際には、「既に死んでいるべき者なのだから、それを自覚して考え、行動しろ」と言われた。

 目が覚めた直後は「自分ではない誰か」に心を支配されそうになっているのを自覚し、簡単なお祓いをした。

 起き掛けには絶望感からそれこそ「もう死にたい」と思うほどだったが、程なく回復した。

 放っておいても余生は短い。喜怒哀楽の総てが「生きているということ」の意味だ。

 苦みも味のひとつ。それを味わえるのも生きていてこそ。

 

 睡眠中は「死後の状態」に近く、論理的にものを考えることが出来ない。思考をコントロール出来ぬので、心を操られてしまう。自他の境界をよりよく認識することと、その区切り方を学ぶ必要がある。

 この一年間の経験で、「自分ではない誰か」が寄り憑く時の感覚が体感として分かるようになった。代表的な感触は「蜘蛛の糸」なのだが、この他にも幾通りかのパターンがある。

 

 これはきちんと自覚するだけで、精神状態が安定する。言葉を替えると「自分を取り戻す」ことが容易になる。

 よく考えると、物心ついた時から「亡者が自分の後ろをついて来る」という状況が続いている。声も幾度となく聞いているから、覚えがあるのは当たり前だった。