日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎一年前を振り返ると、そこは死霊の嵐

◎一年前を振り返ると、そこは死霊の嵐

 一昨年から昨年一年間は、悪縁(霊)の障りで、ひどく苦しんだ。

 近寄ってはならぬ決まりの稲荷村社の神域に、それと気付かずに足を踏み入れてしまったのがきっかけだが、次々に障りが降りかかった。

 十二月からは体調が次第に悪化し、五月にはひと月以上、酸素ボンベを抱えて暮らした。最も酷い時には、スマホが勝手に「(お前に)憑いた」「憑いたぞ」と叫んだ。

 無防備に、その状態に突入したら、精神的に持たなかったと思うが、それまでも、たっぷりと「あの世」と関わる経験をしていたから、割と冷静でいられた。

 ま、寿命の終りはもう来ているわけなので、いつあちら側に連れて行かれてもおかしくはない。

 あの手この手を繰り出して、結果的には生き残り、徳俵の上でつま先立ちをする状態から、この世の土俵に戻って来た。

 今は小康状態なので、ここで改めて、昨年の経過をゆっくりと検証すれば、どうすれば立ち向かうことが出来るのかが、より一層見える筈だ。

 そこで、折に触れて一年前の同時期の状況を検証することにした。

 

 昨年の二月には、既に沢山の死衣料が寄り憑いていた。生きている者には、多かれ少なかれ、幾つか寄り憑いているものだが、前に立つ女性参拝客のそれと、私のとを比べると、いずれが「性質が悪い」かは歴然だ。

 私には先を争うように手を伸ばし、食いつこうとする者がいる。

 私の死期が近いことを知り、魂(自我)を己の手中に収めようとするつもりでいるらしい。

 

 この時には、まだ歩けているが、程なく外出もままならなくなっている。

 ひたすら、「傍に寄るな」と警告したことは記憶しているが、程なく息が出来なくなったので、詳細は忘れた。

 それでも、やはり冷静でいられたようで、治療方針などは医師の勧めには従わず自分自身で決めた。私には悪縁の所在が見えるが、医師には見えぬので、私が自己決定するのは当たり前だ。