日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎「障り」を踏んだか

「障り」を踏んだか

 少し前に、複数の芸能人が連続してクロゼットで自死する事故(または事件)があった。動機や状況を考えると、不自然な点が多いから、「他殺」まで含めて、皆が疑問に思った。

 それぞれの件について調べたわけではないが、「短期間に」「同様の場所で」で、「いずれも顔見知り」となると、何らかの「障りを踏んだ」可能性がある。

 私は、日高の稲荷村社の神域(境内)にそれと気付かずに足を踏み入れたが、それだけで、ほぼ一年間、障りに苦しんだ。何をしたわけでもなく、きちんと敬意を払い、手を合わせたのだが、それでも連続して障りが降って来た。

 たまたま私にはある程度の「慣れ」があり、悪縁の望む通り、あるいは言われるがままには動かぬから、難を逃れられたところがある。

 だが、「障り」のことも、その性質のことも知らなければ、なす術がないと思う。

 

 何となく想像がつく。

 クロゼットに立ち入る時も、そこで紐をバーに通す時も、たぶん、何も考えずに動作した。頭の中は真っ白だ。ぼおっとして、外界が遠く感じる状態だ。

 この時、その人は本来の自分ではない「誰か」に心を支配されている。

 こういうケースでは、どこかで何かよからぬものに触れた可能性がある。

 たぶん、日常の中では、ごく些細なことなので、本人たちは記憶も残ってはいなかった。

 

 私については、逐一記録を残して来たが、

 「回線の繋がっていない電話の呼び鈴がチリリンと鳴る」

 「スマホからしわがれた声で『憑いた』『憑いた』という声が響く」

 みたいな、通常は起こり得ぬ出来事が頻発した。あれこれ調べたが、偶然には起こり得ぬ状況のようだ。ホラー映画みたいな出来事が現実に起きた。

 ちなみに、今では何ひとつその手の変事は起きない。

 

 もちろん、この後、これらの出来事について調べるつもりはない。

 そうでなくとも、悪縁を拾いやすいというのに、自分の方から飛び込むことはないからだ。

 今は私自身への「障り」が、どうやら解けたかもしれぬ状況になって来たが、この段階になってようやく気が付いたことだ。

 たぶん、私のように、立ち入ってはならぬ領域に足を踏み入れたか、あの世の者に不敬を働いたか。

 

 さて私は「既に経験済みの当事者」だから、ある程度の言及は許されると思うが、こういうのはけして面白がるような話の類ではないので、居酒屋での話題にはせぬことだ。

 この手のことを経験したことのない者はとかく舐めてかかるが、いざ始まれば、事実上、止めようがない。神仏、祈祷師を頼んでも無駄だ。障りの本番は、当事者の生きている間ではなく死後に来るから、人間の力では止めようがない。生きた人間の世界では、法律を知らなければ無罪になったり罪が軽くな足りするが、あの世に情状酌量は無く、たとえ知らずとも報いを受ける。