◎扉を叩く音(続) 一月末日の記録
「深夜、玄関の扉を叩く音が聞こえる」話の続きになる。
どうやら本格的に再開するようだ。
一月末日火曜の23時38分には、私は居間で眠り込んでいたのだが、「ピンポーン」のチャイムの音で起こされた。
今のところ、頭の中だけで響いている音で、「高校生が試験前になると、実際には鳴っていない目覚ましの音で起こされる」のと変わりない。こういうのは潜在意識のなせる業で、強迫観念がかたちを変えたものだ。
だが、過去のケースでは、ここから進んで、次第に脳内だけでなく普通に音として響くようになった。もちろん、家族の他の者にも聞こえる。
昨夜は表札を揺らして、それが門柱に当たる音だったが、チャイムのボタンはその十五㌢上にある。
前回は、これが次第に玄関のところまで近づき、十年くらいの間、夜中の二時から三時の間に、扉を「コツコツ」または「ベタベタ」と叩く音が響いた。
二年前くらいに家の中に入り、台所や居間で人影を見るようになった。
視界の端に動きが認められ、着物の端や手の先を目視した。
この一二年は体調不良に苦しみ、かつ悪縁の障りに苛まれていたせいか、玄関の音については、ほとんど気付かなかった。起きていたのかもしれぬが、息が出来ず酸素を吸引している状態では、そんなことはどうでもよかった。目の前の困難の方が先に立つ。
これから二年前の状態に戻ると思うが、果たしてこれは良いことなのか、凶事なのか。
ま、多少のことが起きても、「昨年よりはまし」だと思う。
少なくとも、今はスマホが呪詛の言葉を吐いたりはしていない。
「(お前に)憑いたぞ」「憑いた」
どうか今回の相手が亡き母ではないことを願う。
これが母なら、私に「お迎えの本番」が近づいているという意味だ。
「自分が死んだら、母の手を引いて、母が果たせなかった世界旅行に一緒に赴く」と祈願したことがある。その母が現れれば、その約束を「果たせ」と要請されていることになる。
もし実際にその誓いを守れるなら、私が「死後に悪縁に化ける」ことはなくなる。
以前ほどの確信は薄れたが、私自身については、まだ「死後に悪縁に変じて、あの世とこの世に懲罰を加える」可能性の方が高いと思う。