日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎扉を叩く音(続)

◎扉を叩く音(続)
 毎年、秋から冬にかけて、「深夜、玄関の扉を叩く音が聞こえる」話の続きです。
 例年とは異なり、既に3月を越えているので、「秋から冬にかけて」は外した方が適切かもしれません。

 このところ、連日、夜の11時から1時の間に、「玄関の扉が開き、再び閉じる」音が聞こえます。
 玄関は仕事部屋の真下だし、音はクリア。また、その時間帯には妻子がまだ起きています。
 「あ。長女が帰って来たな」 
 長女は最近、会社の近くに泊まることが多く、家に戻る時は、夜中になってから。
 11時頃だと、まずはこの長女かと思います。
 「食事をして来たのだろうか」
 長女の分を作らなくなっているので、「もし食べていないのなら作ってやろう」と、その都度階下に降ります。
 しかし、居間に入ると、そこに長女はいません。
 「※※が帰ってきたかと思ったのに」
 鍵を開けて、入っているわけだから、思い当たるのは長女くらい。
 今は別のことに気を取られているので、例の「扉の音」のことは、想像もしません。
 何せ、今は四月。四月から九月までは、ほとんど何も起きません。
 
 その謎が昨日解けました。
 病院のベッドに横になっていると、不意に右手を握られました。
 「この感触は」
 母ですね。最後に握手をした時と同じ感触です。
 「なるほど。お袋だったか」
 肉親なので、それほど驚きません。これで、扉が開閉する理由が分かりました。

 普段はあの世の住人には「入って来るなよ」と念じており、実際、家の中に入られることは稀です。そこで扉をノックするだけ。
 しかし、母の場合は総てを許しているので、扉の開閉音で「来たよ」と報せているのです。私が1週間も気が付かないでいたので、手を触ったということです。
 そこで「心配しなくてもいいよ。大丈夫だから」と手を合わせました。
 
 母がこの世に留まっているのは、あと少し。短ければ数週間で、長くとも1年くらいです。急ぐ必要はないのですが、なるべく長く留まっていないほうが望ましいです。
 母は臨終の日に私と握手をして去って行きました。
 再び手を握って来たので、次の別れもそう遠くないのかもしれません。

 ところで、例年の「扉の音」の大半は、ベタンベタンと叩く音でしたが、たまにチャイムを鳴らすことがありました。
 今はそのチャイムは母だったと思います。実際、亡くなる1週間前に、私はチャイムで呼ばれています。
 いつも息子や孫のことを案じているので、それが念となりチャイムで示したのでしょう。
 母は霊力の強い人でしたので、常々、「この家族の柱はおそらく母だろう」と思っていました。こういう感覚は遺伝するのですが、私のも母から受け継いだものだろうと思います。
 もちろん、この手の感覚は「能力」ではなく、単に「鳴りやすい」「響きやすい」だけです。他と共鳴しているのかどうかは、正確には分かりません。その意味では妄想と変わりありません。
 しかし、今のような妄想は、心を暖かくしてくれます。