日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎夢の話 第670夜 妻と

◎夢の話 第670夜 妻と
 12日の午前4時に観た夢です。

 我に返り、隣を見ると、そこには女性がいた。
 「あ。△□※」
 △□※は二十台の頃に付き合っていた女性だ。
 目の前には白いテーブル。
 俺と△□※は横に並んで、お茶を飲んでいたらしい。
 (こういう座り方は、夫婦か仲の良いカップルだよな。)
 もう一度、隣の△□※の顔を見る。
 あの頃のままのように見えたが、二十年はトシを取っている。
 「何見てるの?」
 「いや。何でもない。お前が隣に座っていてくれて有難いなあと思っていたんだよ」
 「今さら何」
 ここまでは、普段の意識が並行して存在していたが、次第に片方が消えてゆく。
 現実の妻や子どもたちのことが頭に無くなった。
 (そう言えば、俺は△□※と結婚したんだっけな。)
 「俺たちは結婚してから何年経つ?二十年か三十年か」
 「何言ってんの。もうすぐ二十年でしょ」
 となると、俺は五十歳くらいなんだな。
 俺はそのまま大学に残って教員になり、まったく別の人生を歩んでいる。
 (え。何と比べて『まったく別』なんだろ。)
 平穏な人生を歩んで来たが、心残りは子どもが出来なかったことだけ。
 「ま、幸せな方だよな」
 部屋の中を見回すと、背後の壁のところに、ボストンバッグが2つ置いてあった。
 
 ここで俺は総てのことを思い出した。
 「俺たちはお互いの死に目が見られない。傍にはいられないんだよな」
 俺も妻も末期癌で、今がそれぞれにとって、最後の帰宅だった。
 ここで覚醒。

 目覚めた瞬間に、「ああ良かった」と胸を撫で下ろした。
 夢らしい夢で、手に入らなかったものを思いつつ、かつ自分が死ぬことを悟る内容だ。
 この夢が示唆するものは、「現実にはまだ死なない」ということ。
 最近は体調が著しく悪く、体が眠っても頭だけ起きている状態が続いていた。
 手足を動かせないのに、周りの音がクリアに聞こえる。猫や虫の声。風に木の葉が揺れる音。そして、この世の者ではない声などだ。
 こういうのは、「死線に近い位置にいる」という典型的な自覚症状だから、普通の夢を観るようになったことは、「もう少し生きるぞ」というお知らせと同じ意味を持つ。
 しかも「死ぬ夢」は吉夢で、状況が「良くなる」ことを暗示している。

 せっかく、「かつて好きだった女性」と一緒にいるのだから、旅行に行ったり、美味しいものを食べたりしている場面があればいいのに。もったいない。
 次は30歳くらいの設定でよろしく。