日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎「三つのお願い」

 

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あの世の使者「ア(ウ)モン」は、かなり前から近くにいた。 「地獄の窯の蓋」は既に開いている。 

 

◎「三つのお願い」                             早坂ノボル 筆(初稿時のもの)

                   (盛岡タイムス 平成二十七年一月四日掲載)

 居眠りから醒め、瞼を開くと、俺はベンチに腰掛けていた。

 俺のすぐ目の前には、頭の丸い標識が立っている。その標識には何やら地名が書いてある。俺が座っていたのは、バス停のベンチだった。

 「そう言えば、俺はお参りに行こうとしてたんだっけな」

 去年は酷い一年で、この十二カ月の間に、俺は仕事を替えたり、妻と別れたりした。

 離婚したら、その途端、俺の体に病気が見つかって、検査やら治療やらで丸々二か月を費やした。

 そんなゴタゴタがようやく収まった頃には、既に年の暮れが来ていた。

 年が替わったので、ひとまず俺は元朝参りに行き、心機一転のきっかけにしようと思ったのだった。

 

 横を見ると、俺の座るベンチの端には、爺さんが一人で座っていた。

 おそらく八十歳をとうに過ぎたヨレヨレの爺さんだ。

 (この爺。俺の知っている人じゃないよな。まるで見覚えが無い。)

たまたま隣に居合わせただけだろ。

 

 そんな俺の頭の中を見透かすように、その爺さんが前を向いたまま呟いた。

 「この齢になると、楽しいことが殆ど無くなった。何を食べても美味しくないし、どこかに行こうという気持ちも無い。好奇心ってものが消えてしまったんだろうな」

 俺はさほど深く考えず、爺さんに頷き返した。

 「いやあ、俺くらいの年齢(とし)でもそうですよ。夢や希望を持てなくなって来ています」

 そう言えば、昔、俺の母親が「幸福は夢や希望の傍に居る」と、川柳に詠んでいたっけな。

 本当だ。もはや俺は何もかも無くした。

 健康や家族、仕事の他に夢や希望もだ。

 俺は 今や「幸せ」とは程遠いところにいる。

 

 爺さんがこっちに向き直った。

 「ねえ、今の君がもし願い事を三つだけ叶えられるとしたら、君は何を願う?」

 俺は思わず苦笑した。

 「夢や希望が無いのですから、今の俺には願い事など無いですよ」

 「いやそんな筈はないよ」

爺さんははっきりとそう言い切った。

その断固とした口調に、俺は少なからず当惑した。 

(え?何を言い出すんだろ。この爺。俺の何を知っていると言うんだろ。)

 

  爺さんが俺の両眼を覗き込む。

 「君くらいの年恰好の人なら、まだ若いし、欲望もある。けして枯れてもいないし、悟りの境地に達してはいない。現に今、君は病気で苦しんでいるじゃないか。もしこれが治れば、これからまだ色んなことが出来ると考えている筈だ。もう治らないものと決め付け、諦めているから、考えないようにしているだけでな」

 図星だった。

 若くて健康な者ほど、死ぬのを恐れない。

 自分の死というものが、現実とは程遠いからだ。

 これが年老いて病に侵されるようになると、途端に死ぬのが怖くなる。目前に見える程近くなり、初めて死ぬことの怖さを知るのだ。

 今の俺は死ぬのが怖い。それほど、死に近くなっている。

 この爺さんくらい年を取ってれば、きっと俺の顔の表情を見るだけで、これまでの闘病ぶりが分かるのだろう。

 「まあ、これからあと二年くらい命があれば良いよな、とは思っていますね。もちろん、健康に過ごせる時間ですけど」

 「それで良いのかね?」

 「はい」

 「現実的だな。永遠に生きたいとか、百年生きたい、などと言わないものな」

 

 「三つのお願い」か。

 そう言えば、前に娘がその話をしていたな。俺はここで、娘の夢の内容を爺さんに話すことにした。

 「俺には小学五年になる娘がいます。この娘が夢の中で女神さまに会った話をしたことがあります。それは大体こんな感じの夢です」

 それは概ねこんな話だった。

 

 俺の娘の名はミカと言う。 

 夢の中でミカが目覚めると、ミカは湖の辺(ほとり)に独りで立っていた。

 湖面はなだらかで、波ひとつ見えない。

 すると、急にボコボコと湖面が泡立ち、何かが浮き上がって来た。

 最初に頭、次に胴体と浮かび上がって来て、遂には女神さまが全身を現した。

 女神さまはミカに向かって言った。

 「お前はよく出来た娘だ。毎日、家事の手伝いをしているし、弟の面倒も見ている」

金髪の女神さまは、欧米の女優さんみたいに綺麗だったが、どこか冷たい表情をしていた。

 「お前には何か願いごとがあるのか。あるなら三つだけ願い事を叶えてやろう。○▲※□○▲・・・。で、うっかり三つを超えて願ってしまったときには、○▲※□につき○▲※□で○▲※□の○×が掛かる」

 女神さまは早口で話したので、ミカには何を言っているのか、よく聞き取れなかった。

 「女神さま。よく聞き取れませんので、もう一度言ってください」

 「よおし分かった。これで一つ」

 ミカはその言葉に驚いた。
 あれ、もしかして、今のも三つのお願いの一つに勘定されてしまうの?
 そこでミカは女神さまにさっきの言葉の意味を確かめた。

 そこでミカは女神さまに確かめた。

 「それはないですよ~。女神さま。まだ考え中なので、さっきの言葉は無しにしてください」

 「よし。ふたあつ」

 「止めて。数えないで下さい」

 「それも分かった。だから今のが何番目かは言わんぞ」

 「今までのは『お願い』ではありません。聞かないで下さい」

 ここで女神さまが大きく頷いた。 

 「これで四つめだな」

 「イケネ~」とミカは頭を抱えた。

 そのミカに向かって、女神さまが高らかに告げた。

 「願い事が許されるのは三つまで。それを超えて願うと四つ目からは有料になる。よって四つ目は三万円ね。お前のお小遣いから毎月少しずつ引いておきます」

 

 俺はここで、視線を上げて爺さんを見た。

 「てな夢だったらしいです。その女神さまはけして心優しい神さまではなかったようですよ。話を続けていると、どんどんお金を取られますから」

 娘が観た夢の話をしていて、俺は何だか悲しくなってしまった。

 その話を俺に語ってくれた娘は、離婚した妻に奪い取られてしまった。娘だけでなく、その下の三歳の息子も一緒にだ。 

 

 「どんな願い事でも叶えてくれるだなんて、大体は裏のある話ですよね。高額な配当を保証する詐欺と同じです。配当なんか初めから嘘です。もし何でも叶えられるのなら、ほとんどの人間は永遠の命を願います。ところが、願い事のルールでは、『永遠』はNGワードですよ。永遠に居続けられるのはこの世でも天国でもなく、ただの一箇所。地獄だけです」

 爺さんは俺のこの話を聞きながら、微笑んでいた。

 「おお、君はなかなか分かっているね。ベテランなんだな」

 「病気になってから、毎日、夢の中に悪霊とか幽霊、死神の類が沢山出て来ます。悪魔とも何度も取引をしました。もはや慣れています」

 「なるほど。では、もし君が本気でさっき言っていた願いを叶えてほしいと言うなら、その通りに実現できるように計らうけど、それで良いかい。確か二年間の健康寿命だったよな」

 あれま。この爺さん、自分が悪魔にでもなったつもりで居るらしい。

 どうやら認知症だな。

 俺は思わず、くつくつと笑った。

 「そのパターンも何度か経験しました。もし俺がそう願うと、これから半年後くらいに俺の病気の新薬が完成し、二年と言わず十年二十年と生きられる筈だった、てな展開が待っていますね。俺が二年と区切ったために、残りを捨てて、二年で死ぬ羽目になる」

 「ほほう。君はなかなかやるね」

 

 すると爺さんは、突然、俺の眼の前に右手を出し、指をパチンと鳴らした。

 「じゃあ、これはどうかしら」

 俺が瞼を瞬かせている間に、爺さんの声が突然、若い女性の声に替わった。

 「え?」

 俺は驚いて横を向いた。すると、そこに座っていたのは、さっきまでの爺さんではなく、丈の短かいスカートを穿いた若い女だった。年齢(とし)の頃は二十五六歳くらいか。

 「なんと。お前は耄碌(もうろく)爺さんではなく、悪魔だったのか。しかも妄想じゃなく、本物の悪魔だ」

 さすがに俺は少し驚いた。

 夢や妄想の中でなら、悪魔には何度も出会ったことがあるが、本物となるとな。

 一生のうちに、そうそう何度も起こる事じゃない。

 

 女は俺の視線を感じると、片目でウインクをした。

 「こっちは悪くないでしょ。さっきのは、クリスマスキャロル風に仕立ててみたんだけど。今は雪の季節だものね」

 「スクルージ爺さんか。でもクリスマスは先月の話。もう終わっているよ」

 「そうだわね」

 相手が悪魔なら、多少ぶしつけに見ても構わないだろう。

 俺はその女を、それこそ頭の上から足の先までじっくりと眺め渡した。

 「美人だな。でも、美人過ぎないから、これくらいでちょうど良い。生身の女って感じが出ている」

 「でしょう?」

 「何ごとも七分くらいの所で留めておくと、残りをあれこれ想像する楽しみが増えるから、逆に楽しいもんだ。ミロのヴィーナスみたいな完璧な女とは付き合いたくないものな」

 「ふふ。じゃあ、私と付き合ってみる?」

 艶めかしい目つきだ。

 「さっきの爺さんよりは、こっちがだいぶ良いね。ふらふらっとデートしたい気分になる」

 「あなたはまだ人生を諦めきってはいないのよ。どう?」

 女が立ち上がって、俺の前に立った。

 女は俺のすぐ目の前で、くるっと一回転して、自分の全身を俺に見せた。

 女の自慢げな表情も当然で、すばらしく見事なスタイルだった。

 この腰回りと来たら・・・。

 俺は女の言葉を認めるように、二度頷いた。

 「君はモデル体型じゃなく、軽くふわっと脂が乗っているところが良いね。離れて見ていてきれいなのと、すぐ隣に居る時の感覚は違うからな。モデル体型だと、遠目では綺麗だが、近くで見ると干物みたいにパサパサだ」

 すると、この女が天使みたいな表情で俺に微笑んだ。

 「じゃあ、この私とエッチしてみる?その後で、一緒に地獄に行くってのはどう?」

 だはは。笑える。

 「冗談がキツいよな。天国に行った後に、すぐ地獄かよ」

 俺はこの辺で、この悪魔が誰か分かって来た。

 「お前さ。お前は実際に悪魔の一人なんだろうけど、その正体は前から俺が知っているヤツでしょ」

 女が「ふふふ」と笑いを漏らす。

 「やっぱり分かっちゃうかあ」

 「そりゃそうだよ。お前は遊んでいるもの。お前はアモンだろ。元の姿に戻りなよ」

 俺の催促に、女はもう一度立ち上がり、フィギュアスケートの選手みたいに、その場でくるくると三回転した。

 回転を終えると、女はベンチにすとんと腰かけた。

 座った瞬間に、女の姿は消え、十歳くらいの男の子に替わっていた。

 

 「ちぇ。こんなに早く分かってしまったら面白くないな。せめてチューする寸前のところまで行かないとね」

 「やっぱりね。魂胆がバレバレだし、三つのお願いなんて話も、決まり切った筋立てだよ。少し捻れば良いのに」

 「そっかあ」

 「女の姿はなかなか良かったけどね。胴回りの線がきれいだった」

 「ま、ボクの方も本気で取引しようとは思ってなかったけどね」

 そんな悔し紛れの言い訳をするとは、よほどコイツも口惜しかったのだろう。

 悪魔なのに、人間と同じような振る舞い方だった。

 「そりゃそうだろ。俺とお前との間では話が付いているもの。お前はただ暇を持て余して出て来ただけなんだろ」

 「まあ、地獄にはケンちゃんほど遊べる相手がいないからね。かと言って地上の人間はすぐに目先の欲望に負ける。さもなくば、絶対に手に入らない決まりの永遠の命を望むから、ありきたり過ぎてつまらないんだ」

 コイツに初めて会ったのは、若い頃にバイクで転倒した時だから、もう二十年は前のことになる。

 それ以後、どういうわけか、このアモンは、ふらりと俺の前に現れては、俺をからかおうとする。

 最初の頃、俺はコイツが俺のことをお迎えに来たのかと思って胆を冷やしたが、なあにコイツは退屈を紛らわそうとしているだけだった。

 

 「悪魔でも、他にすることが無くて退屈することがあるんだな」

 「そんなもんだよ。まあ、あと少しの間だけどね」

 「あと少しって?」

 「ウン。あと少しすれば堕落した人間たちが沢山落ちて来て、地獄に亡者が溢れるようになる。そうなりゃ、ボクたちは遊んでいられなくなっちまう。だから今のうちだけだね」

 「地獄が溢れるのか」

 「そう。蓋が閉まらなくなるかも。だから、ケンちゃんも、もう少しこっちに居て良いよ。忙しくなったらすぐに来て貰うけどね」

 それなら、どうやら俺も、もうしばらくは死なずに済むらしい。

 医者からは「あと一年も持たない」と言われているのだが・・・。

 まあ、幾らか時間をくれるのなら、貰っとこう。

 「こりゃどうも。じゃあ、俺はもう少しこっちで遊んでいるよ」

 どうせ、いずれは地獄に行くと決まっているのだから、もう少し色んなことをやっとくかな。まだ体は動くわけだしね。

 俄然やる気が出て来た。

 

 「ボクが誰かを言い当てられたんじゃあ、仕方ない。その見返りに、ケンちゃんに良いことを教えてあげるよ」

 「何だい?何を教えてくれるって言うんだよ」 

 「悪魔が誘う『三つのお願い』には、答え方があるんだ」

  ほうほう。そりゃ確かに面白くなってきた。

 「ケンちゃんの言う通り、基本はひっかけ問題だ。悪魔は欲望を手繰り寄せて、その裏をかく」

 「永遠に生きたい」と願えば、終身刑で死ぬまで刑務所に入れられる。そんな感じの罠だな。

 あるいは、大金持ちになりたいと願ったら、自分ちの真上に飛行機が墜落して保険金が下りる、なんていうパターンだ。

 幾ら金が入ろうと、自分や家族が死んで仕舞っては意味が無い。

 「なら、裏を取れない願いを言えば良いんだよ。一つ目は、自らがこの先心穏やかに生きられるように。二つ目は、自分の愛する者たちが心穏やかに生きられるように。三つ目は、自分を憎む者たちを含め、この世の人たちが心穏やかに生きられるようにしてくれ、と願うんだ。こうすれば、それぞれの境遇は関係ない。その人なりの安寧が得られることになる。『穏やかに』は、『安らかに』でもOKだけどね」

 「三つ目のは、俺を憎む者たちの幸福をも願えという意味だよな。俺はそんなに心の広い人間じゃ無いが、それは必要な事なのか。俺は宗教だって信じていない」

 俺の言葉に、アモンは「ふふ」と含み笑いを漏らした。

 「ケンちゃん。もし、ケンちゃんを嫌い、憎む者が、苦痛なく穏やかに暮らせるなら、ケンちゃんのことを攻撃しては来なくなる。他人の幸せを願うのは、自分のためでもあるんだよ」

 「なるほどね。良く出来てるな」

 「このことは、どの神様でも仏様にでも通用する願い事なんだ。ケンちゃんはこれからお参りに行くんだろ。その時にさっきのお願いをしなよ」

 「分かった。どうも有難う」

 ここでアモンはベンチから腰を上げた。

 「じゃあ、ボクはもう行くよ。またどこかで会うだろうし、いずれ死ねばケンちゃんはボクの仲間になる。またその時にね」

 「ああ。元気でな」

 悪魔に向かって「元気でいろ」は変な感じだが、まあ、ここは成り行きだ。

 

 十歳のアモンは俺に背中を向け、歩き始めた。しかし、十歩も行かぬうちに、足を止め、俺の方を振り返った。

 「ケンちゃん。これから行く神社の境内にはお金が落ちている。多くはせいぜい百円玉だけど、五百円のことも、千円札のこともある。こういうのは拾っちゃだめだよ」

 そのことは俺も知っていた。

 「厄落としなんだろ。お参りした人が、自分の厄をその小銭に移して置いて行く」

 「そう。それが厄だと分かっている人なら、絶対に触ったりはしない。他人の厄を背負うことになるからね。でも、今みたいに大勢が神社を訪れる時には、ボクみたいな悪魔も厄を撒いて来る。五千円札とか一万円札なら、大概の人は拾うからね。人間の厄ならたかが知れているけど、悪魔の落とす厄はちょっとキツいよ」

 「あれはお前らの仕業か。お賽銭がこぼれたわけじゃあなかったのか」

 俺は元朝参りの時に、賽銭箱の近くにばらばらと札が落ちていたのを見たことがある。その時は誰かの投げ銭が入らなかったのだろうと思って、賽銭箱に入れてやったのだが・・・。

 「作法やしきたりは道を進む時の近道と同じだよ。もし、それを使えば、あっさりと、遠回りすることなく進める。その道筋にこだわらず、他の道を選んでも、目的地には行けるんだけどね。しきたりを覚えて置くと、労力や苦痛を減らすことが出来たりする。しかし、どの道を選ぶかは、その人その人の判断だよ。一つのしきたりや考え方、すなわち宗教と言ってもいいけれど、それは絶対のものじゃない。ただの『一つの道筋』なんだ。そのことは頭の隅に入れといてね」

 「ああ、分かった。でも今の話で気づいたけど、お前みたいな悪魔でも、神社に出入り出来るのか?そこは神様に通じる場所だろ」

 アモンは腕組みをして、俺に向き直った。

 「これからケンちゃんが行こうとしている神社は、ボクの遠い親戚だよ。ボクは昔、『悪源太』って呼ばれていたこともあるんだ」

 俺は思わず両眼を見開いた。

 「それって本当の話なのか?」

 アモンはにっこり微笑んだ。

 「この世にもあるけれど、もちろん、あの世にだって、『裏の話』はあるんだよ」

 そう言うと、悪魔アモンはもう一度立ち去ろうとした。

 

 「最後にもう一つ教えてあげる」

 アモンが体半分を向こうに向けたまま、もう一度俺に話し掛けた。

 「前の奥さんは高校の同級生だったんだろ。奥さんの田舎はこの同じ街だ。今、母子でこの街に来ている。だからこれから神社に行けば、ケンちゃんは子どもたちに会えるよ」

 「え?」

 その一瞬、俺の頭の中に、娘と息子の顔が思い浮かんだ。

 子どもたち二人は、父親の俺に向かって両手を拡げていた。

 「お父さん」「パパ」と俺を呼ぶ子供たちの声まで聞こえて来るようだ。

 

 「奥さんとは他人になっても、子どもたちは、ずっとケンちゃんの子どものままだ。早く行って会ってあげな。二人ともきっと喜んでくれるよ」

 この言葉を言い終わると、アモンの姿は、再び若い女の姿に変わった。

 体にぴっちり貼り付くような赤い革のジャンパーに、下にはミニスカートを穿いた女だ。

 「これは特別サービスよ。じゃあ、いずれまた会いましょう。ケンちゃんが、この新しい一年を安らかに過ごせますように」

 その女はモデルみたいな立ち方で、数秒間、俺に自分の背中とお尻のラインを見せつけると、颯爽とした歩き方でその場から立ち去った。  (了)

 

 (注)この話は著者ブログ「日刊早坂ノボル新聞」の「夢の話 第一〇六夜 三つのお願い」(二〇〇六年五月二十三日掲載)と「夢の話 第三一八夜 三つのお願いその二」(二〇一四年十二月五日掲載)を基にしたもの。

 『夢幻行 ─悪夢のかけら─』所収。