日刊早坂ノボル新聞

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◎夢の話 第985夜 風呂場で何かが落ちる

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令和三年九月八日撮影。視角的にはあまりはっきりしていない。

夢の話 第985夜 風呂場で何かが落ちる

 これはN湖から帰った日の深夜に観た夢です。

 

 夢の中の「俺」は、いつも夢に現れる「俺」だった。

 外見上は三十過ぎくらい。まだ何ひとつ病気をしていない。

 しかし、心中は今現在に近く、オヤジジイだ。

 この夢の内容は、ごく夢らしい夢だった。

 

 我に返ると、目の前に男が立っている

 どこかで見た顔だ。

 俺が声を掛ける前に、相手の方が口を開いた。

 「俺が誰か分かるか?俺は二十台の頃のお前だよ」

 え。そんなことを言われたって、俺はここにいるじゃないか。

 二十台の俺が俺から分離したという、ありきたりの小説みたいな話なのか?

 俺は男女が入れ替わったりとか、過去に戻ったりとかいう類の話が嫌いだ。レバタラなら極力リアリティを持たせなけりゃな。けして起きない事態を想定しても現実には何ひとつ役立てられない。

 「でも、お前はその頃の俺とは顔も背丈に違うじゃないか」

 ボケた半島人なみに論点がずれているが、率直な感想だった。

 

 「俺はお前から分離したが、いざ分離すると独立した存在になるんだよ。その時点までの考え方、人生観を基に『こうありたい俺』を体現する」 

 「そりゃ、幽霊と同じ理屈か?」

 幽霊は自分がこだわりを持つ心の状態を保つから、外見もそれに従った姿を取る。

 自分の執着によって、「作られる」面があるのだ。

 よって、八十九十で死んだ幽霊の姿が少年や少女だったりする。自死した者は死の間際に執着している。数多く同化と合体を繰り返し、悪意を増幅した者は次第に「化け物」の姿になって行く。心がかたちを創るのだ。

 

 「俺だけじゃないよ。二十歳頃のお前、というより俺だな。その頃の俺も来ている」

 「それじゃあ、お前みたいな俺が沢山いるってこと?」

 「そう。心境が変化する度にお前、いや俺から分離して新しい俺が生まれる。分れた瞬間に別の存在になるけどな」

 「ふうん。それじゃあ、時々、俺としか思えぬような姿を画像で見るが、あれはそういうことか」

 「そうだな。分離幽体を放っている当事者の前に現れることは滅多に無いが、特別な状況になると、時々近くに行く」

 それなら、何となく分かる。

 「なるほど。死期が近くなった時ということだな。ドッペルゲンガーを見ると数か月内に死ぬと言うが、あれは見たから死ぬわけじゃない。もうじき死ぬから、かつての自分が分離した存在が戻って来るのだ」

 「そういうこと。さすが数十年の経験はあるわけだな」

 「そりゃ、俺はお前より色んなことを経験しているもの。当たり前だ」

 と答えたが、ここで俺は気付いた。

 俺はコイツに「死期が近づくと現れる」と言ったが、今、この俺の前に若い頃の分離幽体が現れたということは・・・。そろそろ俺も、ということか。

 

 「隣の部屋には五年後のお前で俺がいるよ」

 「五年後?それじゃあ、五年後も俺は生きているのか?」

 そこで分離した、ということはそう言うことになるよな。

 「俺は五年後のお前が『生きている』とは言っていないよ。会ってみれば分かる」

 なるほど。五年後には既に死んでいて、そこからさらに分離することも起きないわけじゃない。幽霊になると、同化・合体を繰り返して自我の延命を図るわけだが、それが合体した者であれば、そこから分離するということだって有り得ぬことじゃなくなる。

 「じゃあ、今この近くには何人、あるいは何匹何体の俺が来てるの?」

 「とりあえず五つ。普通の者より多いよ」

 「ま、最も興味があるのは五年後のヤツだな。過去の自分なら俺自身知っているわけだし」

 「折々の『本当の自分』なんて、本人だってよく分かっていないだろ?人間が思い描く自分の姿は、こう有りたい自分であって、他人から見たそれでも、あるいは素の自分でもない」

 「哲学や心理学的な話はやめろよ。何の役にも立たないから」

 「オメー。俺はまだ三十かそこらなんだから、この手のことを言うのは当たり前だろ。半可通なんだから」

 しち臭い話を止めてくれたのは有難い。ここから実のある展開が開けてくれんとな。

 

 だが、その期待も一瞬でかき消された。

 「だっぱーーん」という物が落ちる大きな音が鳴り響いたのだ。

 家中に鳴り響くほどの大きな音だ。

 ここで夢が中断され、目が覚めた。

 

 「今の音は何?」

 完全に夢から覚め、半身を起こして考える。

 浴室の方から聞こえたが、あれは上から「何か」が水を張った浴槽に落ちた音だった。

 「天井よりも高いような気がするぞ」

 二十㍍くらいの高さから、水面に落ちれば、あんな「ダバン」とも「ザバン」ともつかぬ音がする。その高さでは、地面に落ちるのとほとんど変わりない。

 

 ここで、はたと気付く。

 そう言えば、昼にN湖を訪れた際に「誰かが見ている」と思ったのだったな。

 あれは女の視線だった。

 さては、手前の橋から落ちたのか。

 確かに私はあそこで「水底から救い上げる」と約束したが、その声に応じたか。

 この先は直感の話で、あくまで「想像や妄想」の域になる。(いつも記す通り、「直感」や「霊感」「第六感」はあくまで「想像や妄想」だ。それ以上でもそれ以下でもない。当たった外れたはその本質には関係が無く、出発点が「想像や妄想」なら、どこまで行っても同じこと。だが、もちろん、軽視はしない。)

 霊媒めいた話には立ち入らぬようにしているので、以下は省略。女が語り掛ける相手は私だから、私がそれと悟り、手立てを打ってやればよい。

 

 本来の夢の話の続きが知りたいが、それはいずれまた改めて観るだろうと思う。

 ちなみに、最近増えた症状については、歴然と快方に向かった。心臓や腎臓が悪くなる前に、修行を始めていれば、今の事態にはならなかったと思う。

 まずは「もしや」の段階で対処策を打って行くことが重要だ。