日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎夢の話 第1K52夜 浄霊クリニック

◎夢の話 第1K52夜 浄霊クリニック

 眠りの度に「最後に観た夢」を記憶したまま覚醒する。

 多くの人は十分もすれば夢の内容を忘れてしまうと思うが、私は詳細に憶えている。 

 これは当人にとってはかなり煩わしい。数々の夢の中で、何らかの意味のありそうな内容についてメモを取るのだが、これは内容を整理すると、逆に思い出さずに済むようになるためだ。点検整理し、箪笥に入れてしまえば、目に付くこともなくなる。

 夢を記録するのは、専ら「忘れる」ことを目的としている。

 さて、これは二十九日の午前三時に観た夢だ。

 

 ネットを検索していると、たまたま「浄霊クリニック」という表示に行き当たった。

 「何じゃこれ?」

 宗教の勧誘か?

 あるいは、幽霊に悩まされる者が思い余ってクリニックを訪れると、「この壷を買えば治ります」とか言われたりするのか?そんなことを想像する程胡散臭い。

 裏側に何でもありそうな話だ。 

 この時は読み飛ばしたのだが、それから十日ほど経ったある日、所用で都心に出ると、道でその看板を発見した。

 「ありゃ。これはこないだネットに出ていたヤツだ」

 説明書きを読む。

 「当院は宗教活動を行っているのではなく、純粋に科学的見地から心と魂の浄化を図る技術研究を行っています。よって、神の摂理を説いたり、会員になれと勧誘したりすることはありません。・・・」

 ま、入り口に「信者になれ」「会費を払え」と掲げる者はいない。

 俺は入り口の前から去ろうとしたのだが、しかし、そこで足を止めた。

 俺のすぐ目前をうら若い女性が通り、その入り口に入って行ったためだ。

 「おお、あんな小ぎれいな娘が通っているのか」

 踵を返し、建物の中に足を踏み入れた。俺はまだ二十五歳だから自然な対応だ。

 

 クリニックはそのビルの五階で、そのフロア全部を使っているようだ。

 受付で登録をすると、すぐに待合室に案内された。

 その部屋にいたのは七人で、中にはさっきの娘もいる。思った通り、かなりの美女だった。

 五分すると、白衣を着た中年の男性が部屋に入って来た。

 「こんにちは。私が今日のご案内を務めます。私は研究員の小島太です」

 どこかでよく聞いた名だなあ。誰だっけ?

 小島研究員が説明を始めたが、俺にはしち臭い話しだったので、別のことを考えた。

 俺の興味は専ら向かいに座っている娘だけだったから、当たり前ではある。

 

 「では、ひとまず実演を見て貰い、その後で数名の方に体験して頂きましょう」

 小島研究員がスイッチを押す。すると、部屋の片側の壁がスルスルと上に上がり、全面がガラス窓になった。

 よく映画で警察の取調室の場面に出る、あの片側からしか見えぬミラー窓だ。

 こちらからは向こうが見えるが、向こうからはこっちは見えない。

 窓の向こうの部屋は、天井に直径五㍍の円状のレールが敷設されており、そのレールにはカメラとライトが一体になった装置が二十個ほどぶら下がっていた。

 「あれは下にライトを照射しながら、中央を撮影する装置だな」

 加えて、壁の総ての面にカメラが設置されており、どこからでも撮影出来るようになっていた。

 

 「ライトは可視光線と赤外線の二種類です。霊は人間の可視域からは外れていることが多いのですが、カメラなら広く撮影出来ます。さらに赤外線ライトを照射することで、より捕捉しやすくするのです」

 床の中央には椅子が設置されており、若い男性が独りその椅子に座っていた。

 ここで小島研究員が解説をする。

 「誰もが気付いていないことですが、実は人間には必ず複数の霊たちが寄り添っています。そのほとんどが、当人の心情に近い感情を抱いている者で、自分に近しい人間に近づき、その相手と一体になろうとするのです。多くは悲しみや怒りなど負の心を持つ者なので、そういう霊と同調すると、その感情が強く増幅されることになってしまいます。よって、その人の周りにいる負の心を持つ霊を除去することで、人は明るく前向きに生きられるようになるわけです」

 ちょっと俄かには信じ難い。

 誰にでも複数の幽霊が寄り添っている、なんてことがあるものか。

 

 小島研究員が合図をすると、想像していた通り、天井のライトが回り始めた。壁にもライトがあり、光を放ったから、部屋の中央が真っ白に変わった。

 一分もせぬうちに、若者の右の肩に黒い影が出始めた。

 「おお。あれは何だ」

 皆が身を乗り出す。

 すると、若者の項の影から人の頭が現れた。ざんばら髪の老婆の頭だった。

 すかさず、小島研究員が叫ぶ。

 「お前は誰だ。何故この若者に取り憑いているのだ」

 老婆が身を起こす。

 若者の肩口から、頭に続き体が現れ、老婆の全身が外に出た。

 「知らん。知らん。眩しいから、もう光を当てるのは止めてくれ」

 老婆の霊はもはや実体化して、はっきりと皆の目に見えている。

 いつの間にか、向こう側の部屋には、法衣を着た女性が三人ずつ壁際に立っている。

 老婆が若者から離れたのを見ると、女たちが声高らかに読経を始めた。

 「かあんじーざいぼさあ・・・」

 

 俺はこれを見て、「やっぱり宗教がかって来たじゃあねえか」と思った。だがしかし、目の前の幽霊は本物だった。

 「こんな風にいきなり出て来られてもな」

 老婆が出ると、それで終わりではなく、さらに若者の肩から別のヤツが現れた。

 今度は六歳くらいの男児だった。

 男児は転がり出るように若者から離れると、前にうずくまった。

 「あ。この子は」と若者が呟く。

 小島研究員が「君はこの子が誰か知っているのか」と若者に尋ねた。

 「この子は小学校の同級生のケンジ君です。僕たちは夏休みに沼に遊びに行ったのですが、この子はその沼で溺れてしまいました」

 「亡くなっていたわけだ」

 「はい」

 「では、この子はその時からずっと君の傍にいたんだよ」

 「えええ。そうだったのですか」

 ウインウインと天井のレールが軋む。

 

 ここで小島研究員が観客の方に向き直った。

 「皆さん。ほら、この若者の額を見てご覧なさい」

 言われるまま、皆が若者の額に注目する。

 若者の額はオレンジ色に光っていた。これは周囲のライトの色ではない。

 「今、この子の額には、あの世とこの世を結ぶ穴、すなわち通り道が出来ているのです。その穴を通って、背後にいた霊たちがこの世の側に出て来ているのです」

 「このお婆さんや子どもはどうなるのですか?」

 「捕縛して研究します。もちろん、その後でご供養を施し、しっかり成仏して貰います」

 その後、三体の幽霊が若者の体から外に出たが、そこで機械が停止した。

 「ま、概ねこの若者はきれいになりました。今後は心をかき乱されることが少なくなります」

 観客から「ほう」とため息が漏れる。

 

 若者が研究員に連れられて向こうの部屋を去ると、小島研究員が俺たちの部屋にやって来た。

 「では、皆さんのどなたかにあれを実際に体験して頂きましょう。誰か志願者は居られますか?」

 だが、皆がしり込みをして、手を上げる者はいなかった。

 それもそうだ。つい先ほど、得体の知れぬ老婆や水死した子どもの幽霊を見たばかりだ。誰もが幽霊を連れているというから、自分自身からどんな奴が出るかも分からない。

 小島研究員は少しく思案したが、ここで俺の方を見た。

 「では一文字さん。一文字隼人さんはどうでしょう?」

 ふうん。俺って「一文字隼人」って名前だったのか。

 別のことでちと驚いたりもしたが、別に構いはしない。

 「良いですよ」

 椅子を立ち、小島研究員の先導で向こうの部屋に移動した。

 

 部屋の中央の椅子に座ると、四方から光が照射された。

 「やはり、かなり眩しいな」

 天井のライトがくるくると回り始める。

 俺はそれを見詰めたものだから、すぐに気分が悪くなってしまった。

 光の点滅に弱い方だったからだ。

 

 小島研究員が俺の額を指差し、「程なくこの方の首元から額にかけて『穴』が出来ます」と説明した。

 ウインウインウインと音が響く。

 するとすぐに、俺の左右の肩に手をかける者がいた。両肩のそれぞれに別の手が掛かっている。

 俺の頬の両側を、真っ青な顔の色をした女たちが通り、ずるずると前に出て行く。

 左右の頬の近くを別の女が通ったのだ。

 「うへへへ。気色悪いぞ」

 女たちは俺の前の床に転がり落ちると、うねうねと体をよじっている。

 すぐに次の吐息を首元に感じる。

 今度は俺の顔に手をかけ、背中から上がって来た者がいた。

 「おおお。ようやく出られるぞ」

 呟いた声は壮年の男のそれだった。

 いざ始めると、俺の肩と言わず、脚や腰からもずりずりと幽霊が出て来る。

 あっという間に部屋の中が幽霊で一杯になった。

 

 「こりゃ不味い。これだけ沢山いたのでは収拾が付かない」

 百を超える幽霊たちが蠢き出す。いずれも実体化が進み、中には具象物に変じた者までいた。

 止めどなく現れる幽霊は、部屋に満杯になりガラス窓に押し付けられる。

 誰かが「ああ不味い。窓が壊れる」と叫んだ。

 

 こうなっても、俺の体からはポコポコと幽霊が湧いて出続けた。

 隣の部屋との仕切りが壊れ、ドアも破壊された。

 幽霊たちはたちまちこのビルに溢れ、雪崩を打つようにビルの外に出て行く。

 何千という群衆がいきなり外に出たのだから、きっと町中がパニックになったに違いない。

 何せ、この群衆の大半が地獄から舞い戻った亡者たちだったからだ。

 

 一時間が経ったが、俺はまだあの部屋に座っていた。

 ビルの中は荒れ放題に荒れ、この出来事以前の面影が無くなっていた。

 ここで小島研究員が俺に近づき、声を掛けて来た。

 「一文字さん。あなたは一体何者ですか。まるで留め金が外されたように、霊たちが堰を切って流れ出て来ました」

 俺は首を左右に振った。

 「いや。俺には見当もつきませんね。ただ、さっきの状況はこれまで幾度か夢に観たような気がします。昔から俺は数十万に及ぶ地獄の亡者たちに追い駆けられる夢を観て来たのです」

 すると、小島研究員が深く頷く。

 「なるほど。一文字さん自体が留め金の役割を果たして来たのですよ。その一文字さんに我々が穴をを開けたものだから、背後まで迫っていた霊たちが外に出られるようになったということです」

 

 外側のガラス窓が割れており、音が中に届く。

 「わああ」とか「きゃああ」という人の放つ悲鳴だ。

 俺は「そりゃそうだろうな」と呟いた。

 他の人は現実にも夢の中にでも、幽霊や亡者など見たことのない人たちだ。一体の幽霊でも恐怖に慄くほどなのに、あの数がまとまって押し寄せたら、生きた心地がしないだろう。

 俺は逃げ惑う人たちの姿を想像し、「くくく」と笑った。

 ここで覚醒。