◎夢の話 第727夜 助けて
14日の午前1時に観た夢です。
出張先のビジネスホテルに独りでいる。
仕事自体は終わっており、この日ここに泊って翌日帰るだけ。そんな状況だ。
「映画でも観て寝よう」
歯を磨くために洗面所に行く。
鏡を見ながら、歯を磨いていると、唐突に壁の向こうから声が響いた。
「助けて」
ごく小さな声だ。
歯ブラシを持つ手を留めて、耳をそばだてる。
すぐに二度目が響いた。
「助けて。助けてえ」
今度ははっきりした声。若い女性の声だった。
「隣の部屋で何か事件が起きているのかも」
さすがに無視できるほどの声の大きさではない。
すぐに洗面所を出て、部屋の外に向かう。
部屋の間取りから、声のした方角は分かるから、そっちに行こうとしたが、俺の部屋の隣は非常口だった。
それもその筈で、俺は十階の角部屋に泊まっていたのだった。
「おいおい。あの声は何だよ」
声が換気口とか排水パイプから聞こえたならともかく、壁越しに届いていた。
「だが、そっちは十階の外、すなわち空中だ」
これでは、フロントに言い付けるわけにも行かない。
「この客はどうかしたのか」と変に思われてしまうからだ。おかしな文句を言うクレーマーはどこにでもいるが、「十階の壁の外から声が聞こえました」では、お話にならない。
仕方なく、俺は部屋に戻って寝ることにした。
翌日、ホテルを出て駅に向かった。
地方都市のこの街には、中心に城跡のある大きな公園がある。
「せっかくだから散歩して行こう」
駅までは数百辰世ら、寄り道しても影響は無い。
俺は道を逸れ、公園の中に入った。
平日の午前中で、かなり広い公園だから、人気がまるで無かった。
ゆっくり歩いていると、叢から声が響いた。
「助けて」
俺は思わず足を停めた。
「え」
女の声だったが、昨夜とは別人だ。
声のした方角には、雑草がうっそうと茂っている。
そちらに顔を向け、じっと待った。
しかし、何も起こらない。静寂そのものだ。
そこで俺は念のため、叢に向かって声を掛けた。
「おい。誰かいるのか」
もう俺は気づいていた。「誰か」が俺を呼んでいたのではなく、「何か」が呼んでいるのだ。
すると、叢の奥でその「何か」が身動ぎをした。
暗い影で何かが動いたのだが、そいつも黒いからよく見えない。
「おい。お前は生きている人間か、それとも死んでるやつか。どっちなの?」
もちろん、返事はない。
あの世の住人は、何かしら特別な接点が生じない限り、この世の者に働き掛けることが出来ない。
この世の物理的な法則に従わないし、従えないからだ。
「そして、この場合、『特別な接点』とは、すなわち俺のことだ」
何せ、俺は心停止の状態から2度、この世に戻って来た人間だからな。
「俺はこの世とあの世を繋ぐ者だから、あちら側から見えるわけだな」
昨夜はホテルの部屋で声が聞こえたが、これは時々ある。
こういうのが頻繁に起きるせいで、俺にはその声が生きている人間が出しているのか、死霊が呼びかけているのかという違いがよく分からない。
大体は無視するのだが、知人が声を掛けても答えなかったりするので、「偏屈なヤツ」と思われている。
「ほとほとウンザリだよな」
そう呟いて、俺はその場を立ち去ろうとした。
すると、それを留めようとするかのように、再び声が響く。
「助けて。どうか私を助け出して」
再び足を停め、叢に目を遣ると、そこに「黒い女」が立っていた。
やはり、何か困った人が俺に救いを求めていたのではなかった。
俺を呼んでいたのは到底人ではない。
肉眼で幽霊の姿を捉えるケースはそれほど多くないし、普通、そういうのは1秒以内にパッと消えるものだ。
さっきも言ったが、幽霊はこの世のルールとは対極的な世界にいるから、物理的な存在ではない。
そのルールを歪められる時間はごくわずかしかないのだ。
だが、その「黒い女」は消えずにそのまま立っていた。
「おい。お前は俺の写真い時々写る、あの黒い女なのか」
奇妙な言い方だが、これ以外にうまく表現出来ない。
俺を撮った画像には、時々、「説明のつかない人影」がよく写る。これは鮮明なこともあるが、不鮮明なことの方が多い。殆どの場合は、黒い人影で、シルエットだけだ。
「黒い女」の人影は、これまでにも度々、写真に写っている。
少し待ったが、俺の問いに返事は帰って来なかった。それは当たり前だ。こいつらにとっては、「助けて」と伝えるのが精一杯なのだろうからな。
でも、どうしたいのかは分かる。
道に迷い、自分がどこにいるのかも分からない。そこへ俺がやって来たから、「今を逃すまい」と声を張り上げているのだ。
「よし。それじゃあ、俺が連れて行ってやるから、俺について来い」
俺は他の人より霊障のようなものを沢山引き受けるから、これを祓うために、1年の半分近くはお寺や神社に通っている。
僧侶や神官が毎日、祈りを捧げる地には、霊気の流れが出来ているから、その流れに乗せてやれば、幽霊たちが霊界に向かえる。全部ではないが、少なくとも執着心を解くきっかけにはなる。
「宗教家や霊能者は、とかく霊を邪悪なものと決め付け、念の力で追い払おうとするが、基本的に間違っている。人が良心と悪心の両方を持つように、幽霊だって両方の側面がある。そもそも、自分自身の執着心で幽霊になっているわけだし、悪心に近いのは確かだが、それも病気と同じで本来そうだったわけではない」
叢の中の「黒い女」がこっちを見る。表情が見えるわけではないが、視線を感じるのだ。
そこで俺はさらに付け加えた。
「いいか。俺について来てもよいが、俺に寄りかかったり、しがみついたりするなよ。5メートル以内に近付くな。生身の人間と幽霊はプラスマイナスの関係なんだから、近づき過ぎると双方にとって良くない。俺たちがお前らを気持ち悪いのと同じように、お前らだって嫌だろ」
これは最近、発見したことだ。
幽霊は自分が同調、同化出来る人間なら心地良く感じるが、そうでない者の近くに寄ると、不快に思う。双方とも、相手を「遠ざけたい」と感じる。
ここで叢の中の「黒い女」がすっと姿を消した。
いなくなったわけではない。むしろ、俺のすぐ傍に寄り添ったのだろう。
「帰ったら、すぐに神社に行かないとな」
昔、俺の周りであまりにも異変が起きるから、思い余って霊感師の許を訪れたことがある。
その霊感師は俺の姿を一瞥すると、すぐさまこう言った。
「あなたは神霊体に属するひとです。生まれつき、霊の影響を受けやすい。あなたのようなひとは早くから修行に入り、調整する必要があったのです」
「あったのです」と言われても、もう大人だから、如何ともしがたい。
そのまま放置して、何年も経ったが、結局、毎日、祈祷をし供養をしているから、修行をしているのと変わりない。
いつしか、あの時の霊感師の域をはるかに超えてしまった。
「今、あの先生が俺のことを見れば、何と言うだろうか」
ま、そんなことはどうでもよい。
公園を出て、俺はまた駅に向かう道を歩き出した。
繁華街に入ると、商店のショーウインドウがずっと先まで続いていた。
その割には人気が少ないが、今や地方都市なら当たり前だ。
人が減って、空き家がどんどん朽ち果てている。
交差点に差し掛かると、ちょうど信号が赤に変わった。
俺はそこで足を停め、少しく物思いに耽った。
この時、この交差点にいたのは、俺一人だ。
すると、そこで声が聞こえた。
「助けて」
「え。なに」
後ろを振り向くが、そこには誰もいなかった。
まさか、またなのかよ。
すると、重ねて色んな方向から声が聞こえた。
「助けて」「私を助けてください」「こっちを見てくれ」
何十人もの声だった。
「おいおい。こりゃ何だよ」
周囲を見回すと、交差点の向かい側にあるショーウインドウが目に入った。
このに立っているのは俺一人だから、ガラスに映るのは俺だけの筈だが、しかし、俺の周りには百人を超える人が取り巻いていて、皆が俺のことをじっと見詰めていた。
ここで覚醒。
ホテルの十階で「壁の向こうの空中から声が響いた」という部分は実話です。
と言うより、誰もいない場所で声が聞こえるのは日常茶飯事の域です。
その度ごとに、「俺は絶対に、霊能者にも霊感占い師にも、スピリチュアル・カウンセラーになるつもりはないから、頼りにするな」と声に出して言います。