◎夢の話 第933夜 闇の中
9日の午後12時頃に小一時間ほど仮眠を取った。居間の床に寝袋を敷いて寝ていたのだが、その時に見た夢です。
少しずつ我に返ると、どこか暗いところで横になっていた。
周囲は真っ暗。何があるのか、どんなところなのかも分からない。
「だが、どうせ布団やベッドじゃないだろ」
すぐ近くに人の気配がある。
女房か。ならここは居間で、女房はテレビでも観ている。
例によってサスペンスドラマか。
だが、すぐに気付く。
「ち。隣に座っているのは女房じゃないよな」
あの「女」か。
昼に浦和まで行ったのだが、車を運転して帰る時に、ふと後ろを見たが、そこに「女」が乗っていた。女房と二人で出掛け、その女房は助手席だ。
例によって、またかよ。
ゲンナリする。
外出する度に「誰か」を連れ帰る。
俺の周りは空間が歪んでいるらしく、ガラスに映る片腕が膨れていたり、背後にいる人の姿の方が5割増しで大きく写ったりする。
どうやらガラスではなく、周囲の「空間が光を曲げている」ようだ。
そういうのが、あの世の者(要するに幽霊)には分かるらしく、それを目指してワンサカ集まって来る。
人のいる場所にはそういう幽霊が沢山いるから、そういう場所に出掛けると、必ず「お持ち帰り」することになる。
一年に百五十回もお寺や神社に参拝・参詣するのは、そういうのをその場の気の流れに乗せて解き放つ。そういう具体的な要請や必要性が無ければ、週に三度四度と行くわけがないだろ。
さすがに腹が立って来る。
「迷っている幽霊が『どうか助けてください』と言うから、俺は仕方なく引き上げている。断ってもどうせついて来るから同じことだ。いつも何かが後ろからついて来るし、隣にいる。そんなのを助け上げて、俺に何か良いことがあったか?」
ついて来たのが程なく消えて行くところを見ると、「成仏」に近い方向に進んでいるとみて疑いない。
「だが、俺に何かそれらしい見返りがあったか」
SNSやブログに「おかげで寿命が延びている」みたいなことを書いたりするが、そんなのは「そうあって欲しい」という私自身の願望だ。想像や妄想、もしくは作り話に過ぎない。
実際は、来る日も来る日も、じゃらじゃらと幽霊を引き連れて暮らしている。ただそれだけ。
腹が立つよな。
生きている人間には、そんなことは分からないし、死んでるヤツは「ありがとう」のお礼すらなく去って行く。
この世もあの世もそんなに甘くねーからな。俺がひと度腹を括れば・・・。
「アモンと一緒に、この世に「祟りの雨」を降らせてやるからな」
というところまで考えて、はっと我に返る。
「危ねえ。もはや半分くらいは、悪縁に同化されてら」
ここで覚醒。
病気で苦しんでいるのに、生活のために無理を押して働かねばならない。
私が好きに原稿を書く時間はどこで作るのか。
目覚めた後も、むらむらと怒りが沸き上がる。
どこまで平常心を保てることやら。
何万人も「亡者の群れ」を作ってやったら、さぞスッキリするだろ。
その先に待っているのは無間の闇だが。
映画や書物によると、妖怪顔のアモンの姿は「ストリゴイ」という東欧?の化け物に最も近いようだ。必ずしも「想像の産物」というわけでもないらしい。
車の中では、さすがに家人に「後ろに女がいる」とは言えなかった。
普通の人はちょっと神経が持たないと思う。
私にとっては日常のひとつだが、そのせいで「私には霊感があります」「霊能者です」みたいなことを言う半可通や、「霊と話した」みたいなことを言う者には、正直、「憎しみ」を覚える。これは、アモンら悪縁の影響もあると思う。
「俺の前でひと言でもそんなことを口にしたら、コテコテの悪霊を渡すからな。見渡す限り屍の山だぞ」
そう思うわけだが、これも悪縁が焚きつけていると思う。
とりあえず、隣にいる「女」をどうにかせんと。
外人のようだから、きっと入管にいた誰かが連れていたのだろう。
帰路、スーパーに寄った際にドアを広く開け、「降りてくれ」と言ったが、さすがにそんなに簡単にはいかない。
もちろん、総ては想像や妄想の域だ。これを記して置かないと、
私は「能力者」でも「宗教家」でもなく、ごく普通の「妄想か」であり「変人」だ。
そう思って貰うのが、差し障りが少ない。