日刊早坂ノボル新聞

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◎古貨幣迷宮事件簿 密鋳鉄銭(2)背盛の分類

◎古貨幣迷宮事件簿 密鋳鉄銭(2)背盛の分類

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<質問>

二つ目は、背盛の密鋳鉄銭の見分け方についてです。銅銭は鑢の痕などがはっきり出ますが、鉄銭ではなかなか確認し難いです。背盛はバラエティーに富んでいて、全然分類が分かりません。大きさが官鋳に見えても、製作や鉄質が変に見える物も少なくないと思います。銭座の判別も含めて、分類のポイントを教えていただけると嬉しいです。

 

<回答>

 結論を先に書きます。

1)まず 「鉱鉄(鉄鉱石)製」と「砂鉄製」のものを区分する。 

 前述のとおり、正確には区分出来ない場合があります。

 砂鉄から「たたら炉」で「づく鉄」を作りますが、その際に流れ出た湯をそのまま銭型に流し込むケースと、それを再精錬して鋳銭を行うケースがあるからです。

 再精錬銭は、むしろ鉱鉄(鉄鉱石を高炉で溶かしたもの)よりもきれいに出来ていたりします。

 玉鋼(たまはがね)は、砂鉄由来のものですが、鏡やダイヤのような光を放ちます。

 

 背盛には玉鋼の試鋳銭があるのですが、これは浄法寺(山内座)から出たものです。

 東京を経由して、関西のHさん所蔵となったようですが、Hさんが亡くなられた後は所在が分かりません。

 

2)銭座ごとの分類が可能なものがあるので、それを分けてみる。

 背盛の母銭は、基本的に同じ原母から派生したものです。よって、面文の違いを見ようとしても、さほどの違いはありません。母型の分類ではそれほど種類は多くないのですが、幾らか製作に違いがあります。

 

 背盛を含む当四銭であれば、まず地金の点で

 イ)鉱鉄(高炉製) :  大迫外川目座、栗林座、橋野高炉および釜石三山(大橋、砂子渡、佐比内の各高炉)

 ロ)砂鉄製(たたら炉製) : 浄法寺山内、その他の鉄写し、に大別できます。

 

 この場合、銭座ごとに母銭の仕上げ方法に固有の特徴が出るケースがあります

  • 大迫および栗林後期はオーソドックスな「輪側が蒲鉾型」のものが多い。
  • 栗林座では、当初、橋野j高炉より銑鉄を買い入れていたので、材料節約を目的として、「背面の周縁を強く削り取った」。これは栗林座を起源とする仰宝大字によく見られますが、仰宝や背盛にもあります。なお、その後、自前の高炉を作り、自己調達するようになったので、以後は事実上、区別がつきません。
  • 橋野座では、輪側が直角に立っています。これは背盛、仰宝の原母を新しく作り直したことによります。輪側が完全に直立した型は、大迫の大型母銭(銅原母の類)か、橋野銭だけです。
  • 大橋、砂子渡・佐比内で、母銭と見なされて来たのは、薄肉小様で黄銅・白銅銭です。高炉鉄で、小さく見すぼらしいものの中に当該銭があると思われますが、はっきりとは分かりません。
  • 浄法寺山内座では、いくらか型に変化が生じたものがあります。これは銭譜に掲載されていると思いますので、ここでは省略します。

固有の特徴としては、「面背を研磨している」ことがあり、ペッタリしているものがあります。 

 これは母銭と通用鉄銭の双方で確認できます。

 研磨の目的は「材料の節約」の筈ですが、どういうわけか、鉄通用銭の面背を削ったものもあります。通常、鉄銭には加工をしないので意味がよく分かりません。

 

 繰り返し書きますが、以上の特徴は、「それと分かるものもある」という認識が必要です。

 まずは、「鉄素材の作り方」 × 「加工方法」でアプローチするのが分かりよいだろうと思います。

 ただ、何事にも例外はあり、例えば大迫では「橋野より銑鉄を買い入れた」という記述があるわけですが、実際には、それだけでなく多方面から鉄素材を買い入れた模様です。

 大迫の銭座は、農民による焼き討ちで焼失したため、今でも銭座跡から鉄銭が出ることがあります。その中には、砂鉄経由のものがあり、他地域からも「値段が合えば素材を買っていた」ことが分かります。

 

 以上が基本的な見方だと思いますが、銭径の大小を含め、どの銭座にどのような型のバラエティがあるかは、正確に調べた人がいません。

 鉄銭は「目に優しくない」ため、高齢になると見え難くなるという阻害要因があるためだと思います。こちらは、今後の収集家の方の課題になって行きます。

 

 (既に銭座ごとのサンプルは複数の収集家に差し上げております。画像は撮り直しが必要になりますので、追って時間が取れた時に幾らか添付します。)

 

 なお、「何故その特徴と断定できるのか」は省略しました。

 ま、橋野銭は「原母を持っていたから」ですが、あとは「『岩手に於ける鋳銭』(昭和9年稿)を熟読したら、現品の特徴と符合する詳細な記述があった」ことによります。

 この先は少々苦言ですが、同著については古銭界では色々な見解があるわけですが、精読した収集家は地元に数人居られただけで、他に読んだ人はいません。

 読んでいないのに論評できるのはスゴイです。(もちろん、皮肉です。)

 原典を丁寧に読めば、「どう取材し、どう書いたか」まで丸わかりですね。

 いつも書きますが、印象論を語るのではなく「原典を読め」「現地で確認しろ」ということです。他人の「あやふやな評判」を参考にしていると、十年二十年を無駄に費やしてしまいます。