日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎老婆(454)

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11月17日の画像(454日目)

◎老婆(454)

 日曜は家人と一緒に紅葉見物に出掛けようとしたのだが、道に出るとすぐに渋滞に当たった。数キロ進むのに、20分も掛かってしまう。

 「これじゃあ、さすがに疲れるだけだ」

 すごすごと引き返すことにした。月曜は夫婦とも休みだから、そっちに出掛けたほうが移動が楽だ。

 帰路はいつもの神社に参拝したが、こちらもかつて見たことのない混雑ぶりだった。

 と言っても、大半が七五三のための親子連れで、神殿内で祈祷をして貰うのが目的になる。よって神殿前はそれほどでもなかった。

 

 人気がなくなるのを待ち撮影をしたが、やはり日光の量が足りず、鮮明な画像が撮れない。

 過去には幾度も「何者かに抱き付かれている」姿が写ったので、その都度、迅速に悪縁を落とすことが出来た、

お寺や神社で写真を撮るのは、「自分自身の状態を確認する」ためなのだが、今は自己確認のツールとしてあまり役立っていない。

 画像にはいつも通り、もやもやが写るが、境内の配置を熟知しているから、それがそこにあるべきものかそうでないかはすぐに分かる。

 しかし、あまりにも不鮮明で、それが何でどういう理由で現われたのかを推測・想像することが出来ない。ま、妄想することは可能だが、それではダメだ。

 

 ところで、通行人や通行霊のことは、基本的に気にする必要はない。

 時々、説明のし難い人影について「気のせい」だと表現するが、これは「実際に存在していてもいなくとも、さしたる影響が無い」という意味になる。どちらであっても、こちらに影響を及ぼすことは無いのだから、「存在しない」のと同じ。「存在しない」のだから、すなわち「気のせい」だ。

 しかし、こちらを注視し、関わろうとする者については、充分に気をつける必要がある。相手がこちらを見ている・見えている時点で、なんらかの接点・共通点を持っていることになるからだ。

 

 今回、唯一「気を付けるべき相手」は、最初の画像で、私の近くに立っている老婆だ。

 殆どの人はこの老婆が見えない。概ね私と同じものを見ることが出来る人でも、この老婆は判別出来ないと思う。

 その理由は、専ら「私に対してのみメッセージを送っている」からだ。

 前にも同じ視線を見たことがあるが、その際は、この神社の駐車場の外に立ち、私のことをじっと見ていた。その時と同じ相手なので、私にはこれがどういう者か分かる。

 老婆が伝えようとするメッセージの内容は、「ここは自分のテリトリーなのだから、それを侵すなよ」ということだ。

 ここは人為的に生じた霊域だから、多くの幽霊が集まる。老婆はそれを利用して、何かをしているのだが、老婆は私がそれを邪魔する者だと捉えているらしい。

 これまで私は、恐ろしい妖怪のようなヤツ、蛇の胴体に頭が付いたような女、ホラー映画に出る真白い体をした女などに体を掴まれたことがあるが(画像で)、今にして、総てが「警告」を意味していたのだと思う。

 

 もちろん、私には幽界での出来事に関与するつもりなど毛頭なく、実際、関わることは無いのだが、老婆サイドから見ると違うようだ。

 ま、老婆にはこちらが見えてしまうから、単に目障りなのだろう。

 老婆自身も沢山の霊体が凝り固まった者だが、手下のような者を引き連れている。

 そういうのが神社を出てからも私に付きまとっており、就寝中に悪夢を観させる。

 昨夜は、それを除くために、眠りながらも九字を切らされ、お経を唱えさせられたから、疲れが取れない。悪縁が寄り付こうとしているわけだが、目的は「邪魔をするな」という意味だから、「関わるつもりはない」という意向が伝われば、いずれ去ると思う。

 人事だけでも煩わしいのに、あの世の者に関わって入られない。

 あの世に関わるのは、自身が死んだ後だけで充分だ。

 

 2枚目の長い髪の女は、頭しかないように見える。

 最初は神殿の中にいる人の後姿が写っているのかと思ったが、実在する人物はひとり一人判別できるし、その人たちとサイズが合わない。

 ぽっかりと長い髪の後頭部だけ見えているのでは、まさにホラー映画並みだが、拡大すると、複数の頭が凝り固まったものだった。背景は板塀になるから、遠くの木々がそう見えたわけでもない。

 考えようによっては、かなり気色悪い筈だが、これも意思らしい意思を示していないので、通行人(霊)と見て問題はないと思う。

 繰り返し書く通り、何ひとつ影響を与えないから、「気のせい」と同じ。

 幽霊の大半は生きている者に関わらないが、そもそも生きた人間を検知することすら出来ないのだから当たり前だ。ホラー映画と同じなのは外見だけで、実態はまるで違う。

 大体、ホラー映画や小説、宗教の「あの世」観、祈祷師や霊能者の語る心霊現象は、いずれも的外れのテキトーな話ばかりで、きちんと正視出来ているものは少ない。

 ま、幽霊は可視聴域から少し外れた世界にいるから、あやふやにしか捉えられない。