日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎宿題を果たしに行く(595)

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令和三年八月二十三日撮影

宿題を果たしに行く(595)

 月末が近く、かなり忙しいのだが、体調が悪いので、幾らか軽減すべくいつもの神社に参拝した。総てではないが、あの世系の影響がある。

 「焼け焦げた女」や「エレベーターで私に縋り付く老婆」を間近に見ている。

 エレベーター内の老婆は、病棟で私をガン見していた対面のひとのよう。

 感想は「やっぱりね」だ。あれから程なく亡くなったが、かなり苦しんで死んだ。

 

 先に別の宿題を確認した。

 前回の画像では、石柵のところに灌木(または草)のようなものが蔽い被さっていたのだが、目視で見た記憶がない。そもそも、この柵の裏は通路だから、草が蔽うこともない。

 画像を最初に見た時には、「女が柵から身を乗り出している」ように見えたのだが、その場合は髪の毛だ。こういうのは、「ここにいます」「自分を見てくれ」求める時に、よく現れる。

 同じ構図で撮影したが、あの「草」が写ったのは、これまで一度もない。今回も写らなかった。

 もちろん、だからと言って、あれこれ結論付けるわけではない。いずれもっと間近で見られると思う。

 

 神殿の前では、「助けを求める幽霊たちが進むべき道を辿ることが出来るように」と祈願した。画像がぐねぐねと曲がるくらい強力な地(一般に言う「霊場」)だから、流れに沿って進めばよい。

 

 次は難題だ。ほとんどの人が目視出来ぬと思うが、カメラを持った人影が出ている。

 「その場にいる者と似た姿に化けて近づく」のはよくあるパターンだが、近づく対象がどうやら私らしい。警戒が必要になるわけだが、実際、体調はかなり悪いから、「死」の臭いが出ているだろうと思う。これがあると、いっそう幽霊が寄り付く。

 「おかしい」「何かある」と察知できる人はよほど可視域の広い人で、これまでのところ、百人に一人いるかどうかくらい。

 いつも記す通り、「風呂場の摺りガラスの向こうに人がいる」のに近いが、風呂場では明かりが点いているのに、こういう場合は照明無しの暗がりを見ることをイメージすればよい。

 見慣れると、遠目でもすぐに分かるようになるが、それが分かったからと言ってよいことなど一つもない。

 

 こういうのは、「気のせい」「想像や妄想」と思える人の方が幸せに生きられる。

 そうでない者は、他の誰が何を言っても耳を貸さず、対処策を打つことだ。

 そうすれば、不用意に命を落とすことがなくなる。「この世」にも「あの世」にも必ず「前兆」というものがある。それがルールだ。

 規則があるのなら、対処策は必ずある。もちろん、それは他力本願的なものではない。

 神や仏、祈祷師・霊能者に頼らず、自分で修行することが必要だ。

 

 さて、「良いことは一つもない」と書いたが、少し訂正する。大腿が痛くて、日に幾度も鎮痛剤を服用しているのだが、参拝から帰ると、痛みが取れていた。

 「焼けた女」や「老婆」が概ね去ったためだと思う。

 でも、病気は病気で、こういう効果を過信したらダメだ。病気は医療で治すのが一番で、貸し借り無しで済む。

 もちろん、明日からは通常の検査と治療を受ける。