日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎自然水を汲みに行く(598)

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令和三年九月八日撮影

◎自然水を汲みに行く(598

 このところ、心身共に不調だ。体調が良くないことに加え、悪夢も観るし、「傍に立たれている」と感じる機会が多い。それが「想像や妄想」であるか、現実なのかは、どうでもよい。それを確かめようとしている間に、事態が修復できなくなっていることがあるからだ。

 「最も不味いことが起きている」ことを前提として、対策を打って行く方が合理的だし、実践的だ。

 

 自身の取り組み、とりわけ、心身の不調については、自分なりの構図(マトリクス)を想定し、対策を立てることにしている。

 図を示したが、優先順位がA→B→C→Dの順になる。その順に調べて行き、その局面での対策を打ち出してみるということだ。

 今は身体的な不調が著しいのだが、従前からのものはともかくとして、新しい苦痛については原因がよく分かっていない。

 来週には一段先の検査が始まるが、予めCやD領域の手立てを打つことにした。

 

 これまでの経験では、自然水療法で「薬を抜く」ことが有用だったことが多い。腎臓が悪いので、体内に薬物が滞留してしまうのだが、これを抜くためには。不純物の少ない自然水を摂ることが有益だ。なお、ミネラルや浄水ではあまり効果が無く、自然水だけが有益だった。

 最近、これを怠っていたので、この日は湧き水を汲みに行くことにした。

 

 ついでに、この数年の巡回地をフルコースで回ることにした。これまで散々世話をさせられたが、そろそろツケを払ってもらう番だ。

 私が立っていられれば、もっと多くの魂を救い上げられる。

 

 各ポイントを回ったが、それほど大きな変化はなかった。(もちろん、何事もゼロにはならない。)

 ただ、既にあちこちで視線がこっちを見ているので、いずれご供養が必要になると思う。

 何かのきっかけで、ぱあっと姿を現すと思う。

 

 最後に忠告と言うか助言だが、あの世には決まったルールがある。

 そのひとつが、いつも記す通り、「神域には獣を連れて入ってはならない」ということだ。

 境内がかなり広い場合は、駐車場くらいまでは影響がないことがあるが、内鳥居の中には入れてはならない。

 神社にせよ、お寺にせよ、きちんと霧(霊界の霧)が流れが出来ている場所では、あの世の住人もそこを通る。獣の中には、それを悟るものもいるから、通行を妨げることがある。

 かつて神社猫のトラはいつも境内で案内役を務めていたが、自身は絶対に神殿に上がる階段を上ることがなかった。

 神殿の建物の下に入るのも避けていた。

 そこは不可触の領域だと知っていたのだ。

 

 不可触の領域を冒すことで、障りが生じることがあるが、この場合、「知らなかった」は免罪符にはならない。線を踏み越えたらアウトだ。

 神域仏域は、散歩のコースではないことくらいは知るべきだ。常に敬意を払うこと。

 

 さて、次の検査では、病気の影を消して見せてやろうと思う。

 今が何年もかけて修練して来たことを使う時だ。

 ま、いずれは負ける戦だが、きちんと立ち向かうということ。