◎家鴨の話
家鴨は「アヒル」と読む。ま、これは大人なら誰でも分かる。
この「家鴨」と言えば、忘れがたい思い出がある。
話はまず前段階から。
三歳か四歳の時に、うっかり家で飼っていた軍鶏(シャモ)を踏みつけてしまい、怒った軍鶏に追い駆けられたことがある。
オスの軍鶏は背が高いから、散々に頭を突かれた。
それ以来、鳥が苦手になり、鶏も鳩も嫌いになった。
もちろん、鶏料理を口にすることもない。口に含んだだけで「オエッ」と吐き出さずにいられない。
さて、それから十年以上後の話だ
学生時代に難民キャンプに行き、ボランティアとして数か月ずつ二年に渡り働いたことがある。
最初の年は、海辺にあるキャンプだったが、そこでシャワールームを作ったり、バキュームカーに乗り、地元の運転手が不法投棄をしないかを見張る仕事をしたりしていた。
下水道の掃除なんかは毎日のことだ。
それをキャンプに滞在していた家族が見ていて、「日頃のお礼に」と夕食に呼んでくれることになった。
ヴェトナム難民には現金収入が無く、ただ受け入れ先の決定を待つだけの日々が半年は続いたから、大変なもてなしだ。
夕方、その家族の小屋に行くと、スープと魚の料理を出してくれた。
魚はキャンプまで来る行商から買ったものを唐揚げにしたものだ。
スープをお椀によそってくれたので、中を見ると、どうやら鶏のスープらしい。
何気なく、肉をひっくり返すと、家鴨の頭だった。
もちろん、中華系の食文化圏では、鶏などは頭から足の先まで食べる。頭は割合、肉がついているから、ご馳走だった。
だが、私は鶏が苦手だし、家鴨となると鶏より頭が歴然と大きい。
半分に割ってあったが、しっかり片目を閉じていた。
全身からシュウシュウと何かが立ち上る瞬間だ。「これは弱ったな」と思った。
こういう時に死んでもやってはならないのは、「自分は食べられない」と断ることだ。相手の誠意を無下にする行為だから、心を傷つける。好意を無にする。
敬意を欠く行為だから、パプアニューギニアの種族なら首を獲られても文句は言えない。
しかし、ヴェトナム人は基本的に人が良い。
アジア人の中では、外見も物腰も、最も日本人に似ている。
私が意を決して家鴨の頭を齧ろうとすると、間近にいた若者がそれを見ていて、「自分のと取り換えてくれる」と中身を代えてくれた。
私はスプーンだけで食べようとしていたから、「それでは食べにくいだろう」と親切心から申し出てくれたらしい。キャンプでは必要最低限の食器しか持たぬから、人数分の数が無い。人によって箸だったりスプーン、フォークだったりした。
暮らしに余裕がないのに、きちんと礼を返すのは、さすがだと思う。
国にいれば迫害されるからボートに乗って出て来たのだが、移民として受け入れて貰えば、先には未来がある。だから、人々の顔は明るかった。
今、日本はコロナ禍にあり、仕事が減った。食い詰めたヴェトナム人の犯罪が時々あるが、本当に困っていなければ、そこまでしない。基本はまともだし誇りを持っている。
さて、その時以来、私は鶏が平気になった。足の鍵爪料理でも何とも思わない。コリコリして美味い。
でっかい家鴨の頭を齧ることを考えれば、別に何でもないと思うようになったのだ。
だが、家鴨料理では唯一苦手なものがある。
フィリピンの「バロット」という卵料理だ。
アヒルの卵を孵化させて、殻を割る直前で料理するから、中にヒヨコもどきが入っている。(食べた人によると「かなり美味い」そうだ。)
先日、家人がフィリピン食材屋で、鶏卵より大き目の卵を買ってきた。
「もしやそれってアレか?」
思わず私は「やめて」「やめてくれ」と十回叫んだ(笑)。
だが、家人が買って来たのは、家鴨の卵を塩漬けにした別の料理らしい。家人はダンナが真面目に「やめて」と言うので、あえて目の前で食べて見せようとした。
ダンナのことをからかっているのだった。
日本以外のアジア諸国で、田舎の方に住んでいたなら、家で買っている鶏を〆て食べるのは、ごく当たり前のことだったろう。
子どもの頃からやらされるから、おそらく家人も普通に鶏や鳩を〆られると思う。
私が子どもの頃も、小売店の店頭には鶏が丸で(=丸ごと)置かれていた。
だが、家人は魚の活け造りなどは見たことが無いので、「鯛のまだひくひく動いている体から切り身を取って食べる」段になると、きっとこの家人の方が「止めて止めて」と叫ぶと思う。