◎扉を叩く音(続)
「毎年、秋から冬にかけて、深夜、玄関の扉を叩く音が聞こえる」話の後日談になる。
十月九日午前三時半の記録。
夕食後、居間で眠り込んでいた。あれこれと雑多な夢を観ていたが、急にそれがシャットダウンし、真っ暗になった。
ここで「ピンポーン」と玄関のチャイムが鳴った。
チャイムは頭の中で鳴っているから、かつてのノック音とは違う。
夜中に高らかに響くノック音は実際に鳴っていたから、それを耳にしたのは私一人ではない。家族も聞いている。
しかし、こっちのチャイムは頭の中だけなので、自意識がもたらしたものだ。
「そろそろ起きて、キーを打て」と自身が警告しているわけだ。
受験勉強中の学生が仮眠を取っている時に、「ビーッ」というブザーで起こされるのと同じで、強迫観念と同じことになる。
ノックの音は、十数年も続いたのだが、一年ちょっと前から聞こえなくなった。
「何か」は長らく「扉を開けて、私を中に入れて」と叫んでいた訳だが、ある時点で家の中に出入り出来るようになったらしい。中に入れるのだから、もはやノックは必要ないということだ。
今は台所に立っている時に、頻繁にカウンターの陰に人影を見る。
誰もいない筈の部屋でどこどこと物音がする。
頻繁に背後に人の気配が立つ。
そして、それは時々、自撮り写真にも写る。これが決め手だ。
かなり気色悪いのだが、それとなくその時々の事態を教えてくれることもあるから、関わり方ひとつだろう。
慣れて来ると、それほどの恐怖心を覚えなくなる。
注意が必要なのは、「背中を押されぬようにすること」「一時の感情に負けぬようにすること」だろう。
もし煽り運転に遭遇すると、私はたぶん、その相手を殺してしまう。
家に詐欺師が訪問したら、「両腕を切り落としてやるつもり」で、日本刀を玄関先の物陰に隠してある。手首ではなく、首になるかも。
これらは、私ではなく、妖怪顔の悪霊(ウモン)が画策することだ。
時々、ブログにも掲示する、あの悪霊だ。
そんなわけで、今は少しでも気を抜くと、自分ではない「誰か」に心を乗っ取られかねない。
だが、その反面、自身が行動せずとも、「眼に見えぬ存在」が先に動いてくれる。
不躾な者や横柄な者に会った時、かなり腹が立つわけだが、すぐに背後から「何か」が出て行く気配がある。
「ああ、始末しに行くのだな」と思うと、自身が腹を立てる必要が無くなる。
ただ、小さなことでも出動するし、いざ出動すると、報復は二倍三倍どころではない。
後に残るのは屍の山だと思う。病気や事故で次々に周囲が死んでゆく。
こういうのは止められぬし、止めるつもりもない(善人ではない)ので静観するわけだが、さすがに腹はあまり立たなくなる。
悪縁が私に何もしないのは、「コイツは仲間だし、利用もできる」と見なしているからだろう。
助かるのは、「総てが想像や妄想だ」と言えるところだ。
そもそも存在していない。あくまで世間的には、ということだが。