◎境遇は人それぞれに違う(650)
一年前のこの日から本格的に障りが始まったので、その同じ日に秩父に行くのは、少し気持ちが退く。
しかし、そういうのが最もダメな心構えなので、「自分は大丈夫」だと思い直した。
前に通っていた蕎麦屋が復活していたので、昨年の稲荷山下の蕎麦屋の方には行かなかったので、確かめることは出来ぬが、ま、これで良かったということだ。
家人は「お父さんは、いつも幽霊の写真ばかり撮影しているから、幽霊が腹を立てる」と言うが、とんでもない話だ。
いち早く見つけ、対策を打って行かねば、私などとっくの昔に連れ去られている。
最初に道の駅の看板の前で家人を撮影したが、家人は日陰で、私は逆光の下に居た。
家人には日輪(日差しによるプリズム効果)が出ない環境だが、肩の上に煙玉が出ていた。これは子どもに出るのと同じタイプで、「ひかり玉」の類だ。
要は、いわゆる「五歳くらいまでの子どもには天使がついている」と言う時の「天使」に同じ。「けさらんぱさらん」みたいに糸が渦を巻いているので、すぐにそれと分かる。
もちろん、吉兆だ。
小学校勤務の家人は子どもや先生に、面と向かって悪口を言うが、誰一人それを悪意に受け取らない。(もちろん、本人は酷い悪口を言っている。)
他人が受ける印象が本人の意図とは違う好印象に化ける。
この手の修正は「ひかり玉」効果だと思う。
ダンナの私の方は、まったく逆のやつらが背後に立っている。
大体は「黒玉」で、白い煙玉は多くの場合、自然現象なのに、この黒玉は幽霊そのものだ。
体温を測ると一目瞭然で、私は時々34度くらいの時がある。
体温計を三本取り換えても同じ。
ちょうどこの日は家人とこんな話をした。
「小学生は、誰かが『ドコソレに行った』と言う話を聞くと、その人が『自慢している』と感じる」
でも、これは大人でも同じだ。ネットで「今日は※※をしに行った」と言う記述を見ると、多かれ少なかれ「得意げだ」と感じる(やや不快)。
受け取り方は、発信する人の人徳にも関わるが、意図に関係なく善意で受け取られる人、悪意で眺められる人のそれぞれがいる。
家人は悪意で眺められることが少ないのだが、それには、この「ひかり玉」も関係している。
子どもの仕草を見ていると、何をしても愛らしく見えるわけだが、大人にも「プラスα」を持っている人がいる。
私は逆で、大概は悪意の目で受け取られることが多い。
当家は家人が外国籍なので、文字連絡は英語なのだが、他の人の目に触れるところでも普通に英文で連絡する。
ある時、それを見た人が「気取りやがっている」と思っているのを知り、やはりそういう風に見えるのだなと思い知った。
ま、説明はしない。
英文連絡のやり取りを見て、「こいつは気取っている。鼻持ちならぬ」と受け取る程度の生活文化で暮らしているなら、結局は「その程度」だから、学ぶこともないし、付き合って相互理解を得る意味がない。放置放置。好きに思え。自分の小さい人生を生きろ。
と言うのが、やはり顔や態度に出るので、余計に腹が立つのだろうと思う。無関心が最大の侮蔑だからだ。
でも、バカにしているわけではなく、交流よりも優先すべきしんどい問題を抱えているということだ。
最近気付いたが、「何となく虫が好かぬ」と感じる時には、その対象の温度が下がっている。これは悪縁(霊)が寄り憑いているというのと意味が同じだ。
しかしま、こちらは周りにいる悪縁(霊)の処理に手一杯だから、他人の気持ちに付き合っている暇はない。
戦っている相手の質が違う。ひとつプレゼントするから、それを受け取って貰えれば、すぐに理解出来ると思う。スマホが勝手に「お前に憑いた」「殺してやる」と叫び出す。
はいどうぞ。