日刊早坂ノボル新聞

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◎境遇は人それぞれに違う(650)

令和四年十一月七日撮影

境遇は人それぞれに違う(650

 一年前のこの日から本格的に障りが始まったので、その同じ日に秩父に行くのは、少し気持ちが退く。

 しかし、そういうのが最もダメな心構えなので、「自分は大丈夫」だと思い直した。

 前に通っていた蕎麦屋が復活していたので、昨年の稲荷山下の蕎麦屋の方には行かなかったので、確かめることは出来ぬが、ま、これで良かったということだ。

 

 家人は「お父さんは、いつも幽霊の写真ばかり撮影しているから、幽霊が腹を立てる」と言うが、とんでもない話だ。

 いち早く見つけ、対策を打って行かねば、私などとっくの昔に連れ去られている。

 最初に道の駅の看板の前で家人を撮影したが、家人は日陰で、私は逆光の下に居た。

 家人には日輪(日差しによるプリズム効果)が出ない環境だが、肩の上に煙玉が出ていた。これは子どもに出るのと同じタイプで、「ひかり玉」の類だ。

 要は、いわゆる「五歳くらいまでの子どもには天使がついている」と言う時の「天使」に同じ。「けさらんぱさらん」みたいに糸が渦を巻いているので、すぐにそれと分かる。

 もちろん、吉兆だ。

 

 小学校勤務の家人は子どもや先生に、面と向かって悪口を言うが、誰一人それを悪意に受け取らない。(もちろん、本人は酷い悪口を言っている。)

 他人が受ける印象が本人の意図とは違う好印象に化ける。

 この手の修正は「ひかり玉」効果だと思う。

 

 ダンナの私の方は、まったく逆のやつらが背後に立っている。

 大体は「黒玉」で、白い煙玉は多くの場合、自然現象なのに、この黒玉は幽霊そのものだ。

 体温を測ると一目瞭然で、私は時々34度くらいの時がある。

 体温計を三本取り換えても同じ。

 

 ちょうどこの日は家人とこんな話をした。

 「小学生は、誰かが『ドコソレに行った』と言う話を聞くと、その人が『自慢している』と感じる」

 でも、これは大人でも同じだ。ネットで「今日は※※をしに行った」と言う記述を見ると、多かれ少なかれ「得意げだ」と感じる(やや不快)。

 受け取り方は、発信する人の人徳にも関わるが、意図に関係なく善意で受け取られる人、悪意で眺められる人のそれぞれがいる。

 家人は悪意で眺められることが少ないのだが、それには、この「ひかり玉」も関係している。

 子どもの仕草を見ていると、何をしても愛らしく見えるわけだが、大人にも「プラスα」を持っている人がいる。

 

 私は逆で、大概は悪意の目で受け取られることが多い。

 当家は家人が外国籍なので、文字連絡は英語なのだが、他の人の目に触れるところでも普通に英文で連絡する。

 ある時、それを見た人が「気取りやがっている」と思っているのを知り、やはりそういう風に見えるのだなと思い知った。

 ま、説明はしない。

 英文連絡のやり取りを見て、「こいつは気取っている。鼻持ちならぬ」と受け取る程度の生活文化で暮らしているなら、結局は「その程度」だから、学ぶこともないし、付き合って相互理解を得る意味がない。放置放置。好きに思え。自分の小さい人生を生きろ。

 と言うのが、やはり顔や態度に出るので、余計に腹が立つのだろうと思う。無関心が最大の侮蔑だからだ。

 でも、バカにしているわけではなく、交流よりも優先すべきしんどい問題を抱えているということだ。

 最近気付いたが、「何となく虫が好かぬ」と感じる時には、その対象の温度が下がっている。これは悪縁(霊)が寄り憑いているというのと意味が同じだ。

 

 しかしま、こちらは周りにいる悪縁(霊)の処理に手一杯だから、他人の気持ちに付き合っている暇はない。

 戦っている相手の質が違う。ひとつプレゼントするから、それを受け取って貰えれば、すぐに理解出来ると思う。スマホが勝手に「お前に憑いた」「殺してやる」と叫び出す。

 はいどうぞ。