日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎いなくなったわけではない

いなくなったわけではない

 体調を崩し、数か月の間、ほとんど出掛けられずにいた。日頃訪れている神社やお寺からも足が遠のき、月に一度行けるかどうか。ま、具合が悪いのだから仕方がない。

 これが数か月続いている。

 その間気付いたことは、神社やお寺から足が遠のくと、どんどん鈍くなることだ。

 そもそも霊気の流れのあるスポットを探して訪れていたわけで、その気に触れることで感覚が研ぎ澄まされる一面があった。

 そういう状況から離れてみると、あまり意識することが無くなる。ごく普通の日常生活を送ることが出来るような気がする。

 背後を誰かがついて来るような気配を感じることも減った(ゼロではない)。

 

 先ほど、家人を歯科医院まで送り迎えした。

 歯科医は駅前ビルの中にあるから、駅前駐車場に車を入れ家人を下ろした後、一旦帰宅して治療が終わった後にまた迎えに行く取り決めをした。

 「じゃあ、帰りはロータリーで拾うから」

 そう伝えて、エレベーターで駅前ビルの連絡階まで下りようとした。

 ボタンを押してエレベーターを待つと、背後で「ドン」という音が響いた。

 かなり大きな音だ。

 振り返ると、後ろは千円カットの床屋だが、午後八時を回っていたので既に閉店していた。

 「確かにあの音は窓の厚い全面ガラスを叩いたような音だったな」

 店内は真っ暗だ。すごく嫌な感じ。

 でも、もっと嫌な感じがするのは、その「女」が店の中からガラスを叩いたのではなく、窓ガラスの前に立って後ろのガラスを叩いた、と感じることだ。

 要するに、その「女」は私の背後に立ち、自分の後ろのガラスを叩いて私に自分がそこにいると報せた。

 こういう時の感じは、もはや確信だ。そもそも目には見えぬのに、そこにいたのは「女」だと分かる。

 店内を覗いたが、もちろん誰もいない。

 それもその筈だ。「女」は店内ではなく、私のすぐ前に立っていたのだ。

 

 一旦帰宅して、家人からの電話を待っていると、一時間ほどで連絡が来た。

 先ほど「次はロータリーで」と伝えていることだし、さっと拾うだけと見なし携帯を持参せずに車に乗った。

 ロータリ-の前まで行ったが、家人はいない。

 買い物に寄ると言っていたから、ま、時間はかかる。

 女の買い物だから、男の倍以上はかかりそう。

 仕方なくその場を離れ、駅の周りを一周して来た。

 まだいない。

 携帯が無いので連絡できず、また一周した。ひと回りが五六分くらいだから、充分な筈だが、しかし家人は着いていない。

 「ちょっと長すぎるよな」

 家人はひとの言葉に耳を貸さぬところがあり、一方的にしゃべり捲るから、聞いていなかったのでは、とも思い始めたが、しかしもはやどうにもできない。

 四週目を終え、ロータリーに戻って来ると、車寄せの傍にあるベンチに家人らしき人影が見える。

 「ようやく来たか」

 すぐに駐車スペースに車を寄せたが、しかし、人は誰もいなかった。

 

 「おいおい。こりゃ嫌なパターンだよな」

 悪縁(霊)が寄り付いた時には、こんな風に人事面でも「行き違い」が多々生まれる。そして、必ず騒動になる。

 すると、家人がようやく車にやって来た。

 家人は怒りの形相をしている。

 「ずっと駐車場で待っていたのに、何で来ないの」

 「え。帰りはロータリーだと言っただろ」

 「そんなのは聞いていない!」

 そりゃそうだろ。コイツはいつも人の話を聞かず、自分だけが一方的に話す。問われたことに答えた時には、既に別の話をしている。

 その先は、世のご主人はよくご存じだ。

 臍を曲げた奥方がどれほど悪態を吐くかは、容易に想像がつくと思う。

 

 実際、一つひとつの時点で少し用意の足りぬ部分がある。

 家人にきちんと「ロータリ-」だと念を押していれば問題が生じなかったわけだし、携帯を持っていれば連絡出来た。

 こういう「小さな穴」を縫い合わせ、「不都合」「諍い」を合成して行くのが悪縁のなせる業だ。

 今日は「起こり得ぬ音を立てる」ところから始まり、きちんと「姿を見せ」ている。

 髪形などは、従前の家人のもので、すなわち、私が「大きな女」と呼ぶ幽霊の頭によく似ている。

 だが、その女の幽霊は、私に対して悪さをしないので、これはまた別のヤツだろうと思う。

 

 「女」は私に対し「腹を立てている」ような気もする。

 一体、何に対して怒っているのだろう。

 あるいは、まだ私が死んではいないこと?

 淡々と記すが、かなり気持ちの悪い体験だ。

 こういう時の「音」は、尋常ではないくらい大きな音がする。

 これは「気のせい」ではあり得ないだろうな、と思ったすぐ後に、きちんと自分の姿を見せる。

 片方だけなら、あまり気には留めぬだろうが、両方揃うと充分に気色悪いし、結果的に家人が異様な怒り方をしている。

 

 自分自身が鈍感になり、あまり周囲に警戒しなくなっているとしても、先方の方が放っておいてはくれぬらしい。

 どうせなら、ささっと祓う術を会得してしまえば、自分だけでなく多くの人、とりわけ同じような悩みを持つ人を助けられると思うのだが。

 なお悪縁が寄り付くのは「活気不足」だからという側面もある。弱っている者には、やはり悪意を持つ者や魂胆を持つ者が寄って来る。

 私はまだ回復中途だから、心を支配されぬよう気を付ける必要がある。

 

 なおこういう時には、「自分にも至らぬところがあった」と顧みることが大切で、相手と同じような立腹の仕方をしてはダメだ。人間関係のもつれで、刃傷沙汰に至るケースはよくあるが、相手に対し一方的に怒りをぶつけようとすることからそれが生まれる。

 悪縁の思うつぼになってしまう。



追記)こういう時に冷静さを欠くと、喧嘩相手を殺したり、あるいは帰路に別の車を煽り捲るようになる。

 中心の要素は「自分自身の心が招く」のだが、その他に背中を押す者がいたりする。

 悪縁の多くは肩のところに顔を寄せて、怒りを吹き込む。