日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎原点に還るつもりが(517)

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令和二年七月二十日撮影

◎原点に還るつもりが(517)

 昨日まで、夜中はうすら寒いほどだったのに、月曜は暑くて堪らない。

 家人が「涼しいところに行こうよ」と言うので、宿谷の滝に行くことにした。

 ここは「今」に繋がる分岐点になったところだ。宿谷の滝と御堂観音での体験により、第六感をある程度コントロール出来るようになった。

 その前はそれが出来ずに、「あの世の者」の為すがままに脅迫されていたが、今は多少のことは平気だ。

 

 久々に訪れる宿谷の滝は、かなり混雑していた。

 細道を上がって行くのに、二十人くらいの人とすれ違ったし、滝の前には団体十数人が来ていた。

 家人は足を浸そうと考えていたが、半ケツの若者が水に入って行くのを見て、この日は入るのを止めた。

 若者たちは滝行を気取って、滝に頭を浸していたが、実は危ない行為だ。

 雨が続いていたから水量が増し、水に落石が混じるからだ。

 注意するのも何だが、やはり家人は見ていられなかったらしく、ダンナ(すなわち私)に向かって、周囲にも聞こえる大きな声で言った。

 「今日みたいな日は滝は危ないよね。石が落ちて来るもの」

 これが聞こえたらしく、年配の女性がこっちを向いた。

 ま、メッセージが伝われば、あとは自分の問題だ。

 

 それからいつもの神社に向かった。

 宿谷の滝の周辺では、鮮明な「眼」が写真に写ったり、煙玉が飛んだりしたから、念のために厄を落とす必要がある。

 ただし、あの場所の問題ではなく、私だろうと思う。私が行く先々で、いつも必ず何かしら異変が起きるからだ。

 滝の途中から、「今日は大丈夫」だと思ったので、所々で私も被写体になり、記念写真を撮って貰った。時として、神社のガラス窓に写る程度の次元ではない異変が画像に残ることがあるので、写真には入らないようにしている。

 夏季だし、やはりさしたる異変は起きない。

 

 それでも「完全にゼロ」にはならず、幾つかは気になる箇所が見つかった。

 まあ、これは仕方がない。

 鮮明なのは、9枚目の画像だ。私の右後ろに、きわめて小さいサイズだが、女の顔が写っている。長く幽界に留まっている者らしく、顔が歪んでいる。

 これはほとんどの人が見えると思う。

 声が聞こえるので、この者は私を「リクルートしに来た」者だということが分かった。

 メッセージはこうだ。

 「今、貴方の悪口を言っている者がいるよ。始末してあげようか?当人も、親も兄弟姉妹も、子や孫も総てあの世に送ってあげる」

 おいおい。たかが悪口雑言くらいで何十人も殺すのか。

 本人がいないところで酒のつまみに悪口を言おうが、匿名の掲示板で陰口を書こうが、私は一切聞かないし、読まないので、気にしないよ。

 それに本人に言えず、陰でそんなことをする者は、所詮は「その程度」ということだし、加えて、自ら悪縁を引き寄せる振る舞いだ。いずれ自然に衰運を辿る。

 

 「悪口雑言は『言われた方が運が回る』と言うもんだよ」

 それを言った者の「運気や生気を吸い取る」とも言う。

 有名人がネットの悪口を気に病んで、自殺したりすることがあるけれど、考え方が真逆だ。鷹揚に構え、笑い流していれば、その人の運気を吸うことが出来るのに、何を悩むことがあるのか。

 

 こういう誘いに「じゃあ、そいつを〆てくれ」と願ったりすると、後が大変だ。

 死後、私は亡者の世話をすることになると思うが、それが「どういう亡者か」ということに違いが出る。

 他人を呪ったりすれば、間違いなく悪霊の先頭に立つことになると思う。

 たまに、冗談で「暗黒面に落ちる」と書いたりするが、これは生者死者を問わず、祟りを振り撒く存在になるということだ。

 そこで、「声」にはこう答える。

 「俺にはそんなつもりはないよ」

 もちろん、その後にこう付け加える。

 「でも、お前が勝手にやる分には、俺は関知しないけどね」

 大体、今はその相手が誰かすら知らないわけだし。止めるに止められない。

 

 悪縁の所在を目視確認出来るだけで、「軌道を微調性出来る」という利点が生じる。

 そういう意味では「あの世ウォッチング」は割と役に立つ。

 しかし、気に入らない相手を、自在に殺し「死後の闇」に放り込むことが出来るようになるというのは、もの凄い誘惑だ。

 「コイツにはこの悪縁を差し向けよう」と頭に思い描くだけで、じわじわとその相手や身内が滅んで行く。

 そういう「可能性がある」というだけで、正直、「怖い」話だと思う。

 

 夏はあの世と最も遠い季節なのだが、今は鮮明に声が聞こえ、カメラで捉えた画像よりも、目視する方が鮮明に見えるになって来た。これも少し嫌な事態だ。

 自身があちら側に近くなっているという意味だからだ。 

 

 追記)ちなみに、四年前くらいのこの谷での画像がこれです。

 想像や妄想ではありません。時間が経ち、かなり薄くはなってます。

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