◎夢の話第1K68夜 通夜
九日の午前四時に観た夢です。
我に返ると、俺は布団に入って仰向けになっていた。
頸を上げると、俺がいたのは奥座敷のような畳敷きのところで、襖を取り払って、大広間や常居とを繋げてあった。
「ああ。ここはお袋の生家だ」
母は旧家の生まれだから、家自体が百三十年は昔に建てられた家だった。常居、大広間だけで四十畳くらいあったが、座敷を繋げると、百数十人は寝られただろう。
実際、周りには俺と同じように布団を敷いて寝ている者が三十人はいた。
「何がすごいと言って、これだけの客を泊められるだけの布団を持っているところはすごい」
自分ちの畑の端が分からぬほどの地主だったからな。
しかし、よく見ると、俺の布団と、前に寝ている人の布団の向きが違う。俺に対し、皆が頭を向けて寝ている。要はT字型で、俺が上の横引だ。
おまけに俺の前には、焼香台が置かれている。
「げげ。これって通夜じゃねーか。しかも俺の」
夜通し線香を焚くから、誰かが寝ずの番をする。交替で線香を足すために数人が起きている。
だが、ちょっと待ってくれ。
「俺の葬儀をお袋の実家ではやらんだろ」
そもそも俺は密葬にする。普通の葬式をやったら、何が起きるか分からんから、ごく近しい家族だけでこっそりやり、すぐに火葬。灰は郷里の山の修験道場跡に撒いて貰うつもりだ。
「ということは、この俺は俺ではなく」
祖父だな。
祖父は晩年、モハメド・アリのかかったのと同じパーキンソン病にかかり、幾年かの闘病の後に亡くなった。
その時の通夜とこの情景は同じだった。
「となると、本物の俺はすぐ前に居る筈だな」
顔を横に曲げて、布団の右前を見ると、確かにそこで寝ている子どもがいた。ま、高校生頃だから、「子ども」というより若者だ。
ここで別のことに気付く。
「あの時、祖父は目を覚まし、俺のことを見ていたのか」
晩年の祖父は病気で話が出来なかったから、その時に気が付いていれば、祖父がどんな思いでいたのかを聴くことが出来ただろう。少し残念だ。
ここで覚醒。
祖父はニューギニアに従軍し、守備兵二万人と共にある島に駐屯した。戦争末期に米軍、オーストラリア軍に攻められ、山のかたちが変わるほど砲撃された。
祖父は海に逃れ、海中で三日三晩過ごしたが、体力が尽き、磯に打ち上げられていたところを敵兵に捕まった。
生き残った日本兵は一千人で、一年後に復員船に乗れたのは、そのうち半数だけだったと聞く。
家に帰り着いた時、祖父は暫くの間、玄関の前でじっと立っていた。「ようやく戻れた」という感慨があったのだろう。
瘦せこけた、薄汚く変わった祖父を見て、叔母はそれが父親だとは分からず、祖母のところに走ったそうだ。
「変なホイドが来てるよ!」
家族皆が走り出て主を迎えたが、祖父はまだ暫くの間、家の前に立っていたそうだ。
追記)神無月について
昔の人は物事をじっくり観察していたようで、「神無月」もそのひとつだ。
全国の「神さまが出雲に集まる」のはともかくとして、「神が不在だから、あの世の住人(要するに幽霊)への統制が利かず、騒ぎ出す」のは、一面の真実が隠されていると思う。
例年、十月の末から十一月になると、幽霊が騒がしく活動するのだが、この夢を観た後、瞼を開くと、一瞬、部屋の中に数十人の人影が充満しているように見えた。
逆に言えば、眠っている時に、その状況だったから、脳内で情報を変換し、それに相応しい場と状況を夢の中で構築したのではないか。
「こいつらは俺が死ぬのを待っているわけだな。そうは行くかよ」
台所に行き、「癒し水」を用意し、枕元に置いた。
もう一度寝たが、今度は夢も観ずぐっすり寝られた。