◎「その時」が来た
つい先ほどの話。
居間で寝袋に入って寝ていたが、隣の部屋から「バチンバチン」と手を叩く音がして目覚めた。
まるで柏手のよう。
すると間を置かず、続いて「バチン」が四回だ。
それなら魔除けの所作だ。
すぐに息子の部屋に行き、様子を見ると、やはり起きてはいたが小さく固まっている。
この事情は父親の私の方がよく知っている。
息子にも「アレ」が来ているのだ。
母が長年苦しみ、私が生まれつき背負って来たものを、息子もやはり背負っていた。
「第六感は遺伝する」と言われているが、やはりそのとおりらしい。
「悪い夢を観たのか」と声を掛けると、返事をせず、やはり固まったままだ。
要するに「観た」ということだな。
台所に行き、こういう時のために用意してある盃に水を入れ、息子の枕元に置いた。
「これで楽になる。あとはいずれ教えてやるから」
その後、暫く待機していたが、息子は数分で眠りに落ちた。
ついに息子が眼を開く時が来たようだ。
実際に体験しているなら話が早く、どう考えどう対処すべきかが息子の心に入って行く。
眼を閉じ、耳を塞いだままでは、幾ら説明しても受け入れられない筈なので、息子がはっきりと自覚するまでは話さずにいた。
前々から悪夢をよく観ていたらしく、時々、うなされる声が聞こえていたが、今度のは息子は起きていたから、要は「アレが来た」ということだ。
自分が死ぬ前に、息子にはきちんと伝えたいと思っていたが、ようやくこれから始められる。
まずはこの話から。
「お前は神霊体という気質・体質を持つ人間だ。あの世の影響を他の人より受けやすい境遇にあり、それは一生変わることはない。お前が見聞きしたことを誰も理解しない。何故なら、ほとんどの人間は目を瞑り、耳を塞いでいるからだ。よってお前は孤立するが、まずはそういう己を受け入れる必要がある」
この先の話は長い。
「信じる」ことと「願う」ことはまるで違う。
自分自身を信じられぬでは、何も生まれず、成し得ない。
「信じられる」ようになるためには、まずは「瞼を開き、耳を欹てる」ことが必要だ。
自分が苦労して来たので、息子にはきっちり伝えるつもり。
悩みごとの何割かがそれで消える。