日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎「障り」の経過

◎「障り」の経過

 時々、「一昨年の稲荷眷属の障り」について記すが、同じようなことが起きた際のヒントになるかもしれんので、簡単にまとめて置く。

 

 令和三年の十月のこと。

 例によって、お寺巡りをしていたが、寺の境内の隅にあった稲荷村社に気付かず、神域に立ち行ってしまった。

 私は稲荷とは何か宿縁があるらしく、相性が良くない。近づいただけでも気分が悪くなる。境内に入ると、もはや立ってはいられない。

 やはり気分が悪くなったのだが、いつもより重い症状が現れ始めた。

 十一月に秩父大血川に紅葉見物に行ったのだが、明らかに「あの世の穴」の標識が出た。これは人の顔に似ているが、幽霊そのものではなく、あくまで標識だ。

 前に飯能のN湖で見たことがあり、これが記憶に残っていたので、ピンと来た。

 普通の人にとっては、ただの雑草だったり、服の皺だったりするが、私にはそうではない。私に対しては明確なメッセージが込められているので、当人にはすぐにそれと分かる。

 その後、八か月ほど障りに苦しめられた。

 持病はあるが、それとは違う原因不明の症状が出て、どんどん体重が落ちる。

 最終的には、何もしていないのに十二キロほど痩せた。

 周囲の医療従事者は、「心臓の外科治療を受ける必要がある」と口を揃えて言うが、私は心臓病ではベテラン患者だから、これが心臓に由来する症状でないことは知っている。拒否し続けているうちに、悪縁が露骨に顔を出し始めた。

 最後には、スマホがしわがれた男の声で、「憑いた」「憑いたぞ」という叫び声を上げた。これはAI音声対応では、絶対に起こり得ぬことなそうだ。

 この他にも物理的な異変(有り得ぬこと)が多数起きた。

 悪縁(悪霊)が自分に取り憑いたことは自覚していたので、とにかく考えられ得る限りの除霊浄霊の手立てを打った。私の状況になると、神社や祈祷師に除霊の祈祷をして貰っても、殆ど助けにはならない。自力解決しかないので、不動明王にお参りし、仲間である「白衣の巫女」やトラに助力を頼んだ。

 今回初めて白状するが、最後には「もしお前が私から手を引かずに、私が死ぬことになったら、稲荷を焼く」と宣言した。「京都の本社だけでなく、全国の社を焼き尽くす」と。

 「だから、私から手を引け。私も今後は一切近づかない」。

 ちなみに、神社を焼いたら、たぶん、神職が何百人か死ぬはずなので、これを誓ったことはこれまで黙っていた。

 でもま、それも「私が呪死した後の話」なので、世間的には「ただの妄想」だ。

 当時のブログにも記したが、八か月後のある深夜に、急に体が軽くなった。それと同時に隣の空き地にあったドラム缶が「ガン」と鳴った。この時は「あ、腹立ちまぎれに角材で叩いてから去ったのだ」と思った。その後、病状は著しく快方に向かった。

 結局、自分の存在を脅かすような悪縁とは、自ら戦うしかない。

 訳も分からず彷徨っているような不浄霊なら、ちょちょっとお祓いを受ければ、念の圧力で暫くは遠ざけられる。だが、強力な者なら、いずれ必ず戻って来る。この分野では「とにかく自力更生すること」が基本だ。

 

 体調が悪化している時に、五六人の医師から、「心臓の外科治療を受ける必要がある」と言われたが、「これは心臓の疾患ではない」と断った。本来は「病気は医療で治す」のが基本なのだが、心臓にメスを入れるその一瞬を悪縁が狙っているという確信があったので断れた。病気もあの世対策も、最後は己自身の判断による。

 

 画像は主に一昨年のもの。

 蕎麦屋のアクリル板に「穴の標識」が出たので、「自分に悪縁が寄り憑いている」と確信したのだが、この蕎麦屋も稲荷神社の外鳥居付近にある。

 メッセージは私にだけ向けられているので、他の者にとっては何ら関りが無い。

 「気のせい」や「妄想」の範囲だと思えばよろしい。だが、当事者にとってはまるで意味が違う。殆どの人には起きぬが、起きる者には想像の範疇を越えることが現実に起きる。要するに別次元を生きている・生きねばならぬということ。

 ただし、万が一に、自分の身の上に降り掛かることがあれば、参考になると思う。

追記)「起きる者には次々に起きる」と記したが、次のようなことは日常的に起きる。

 あれこれ説明を考えたが、どれもあまり当て嵌まらない。この世の因果とは、まったく別次元で起きている。

 ちなみに、ガラスに映る自分自身を撮影したが、室内に人はいないのに、胸元に苦し気な老人の顔が写った。

令和元年九月九日撮影