日刊早坂ノボル新聞

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◎病棟日誌 悲喜交々 6/22 「ご飯がやたら硬い理由」

病棟日誌 悲喜交々 6/22 「ご飯がやたら硬い理由」

 いっそう倦怠感が酷くなり、平地を歩くのもしんどくなった。

 PCの前に座れる時間は十五分から二十分で、それで何かをするには足りない。

 ブログやSNSに雑文を少し書く程度だが、もちろん、推敲も校正も出来ない。眼科の診察があると、強いライトを網膜に照射するのでニ三日は弱視が酷くなる。天気が良い時には、信号の青色がよく見えない。

 足元手元がおぼつかぬので、頻繁によろめく。

 水曜には、PCの前でぐらりと来て、コーヒー(雑巾水の味)をぶちまけてしまった。

 すぐにキーボードを立てたが、あっという間にショートして使えなくなった。

 木曜の午後に少し無理をしてでも電気店に行く必要が生じた。

 

 病棟では、この日の担当もユキコさんだった。

 「前は治療の後がしんどかったけれど、今は治療の前もしんどくて、要は四六時中具合が悪いですね。ウイルスが体内にいた時よりも今の方がキツい」

 「ワクチンが無い頃に感染した人の中には、その後三年後遺症に苦しんでいる方がいらっしゃいますね。専門医の治療で良くなることもありますから、行かれてはどうですか」

 「所沢まで電車に乗ったり、車で行くこと自体、『今は無理だな』と思います。こういうのはたぶん、治らないから寝ていた方がいい」

 これな心臓病の経験だ。心臓の手術を受けた直後は、術前よりも気分が良くなるが、その後でもう一度ずしっと来る。「三か月は何もするな」と言われるが、事実上出来ない。

 その頃には全身が重く、手足を引きずって歩いている体感になっている。この手のは薬では解決出来ず、その時の身体の限界値に慣れて行く外はない。

 

 「食事は摂れていますか」

 「やはり食欲がなく、お茶漬け主体ですね」

 「栄養ドリンクを出しますか」

 「いや、もう薬もドリンクも増やしたくないです」

 症状改善をはかる対症療法が原因となり、別の症状が現れる。

 薬は基本的に毒物だ。

 「味は色んなものがあるんですよ。バナナ味とかイチゴ味とか、コーヒー味。何でも選べます。どれもでもいいですよ」

 今は「コーヒー」と聞いただけで、刹那的に「雑巾水」が思い浮かぶんだよな。

 すぐに与太話に突入。

 「お姉ちゃんに例えると、色んなのがいいるからどれでも好きなのをと言われても、人それぞれなんだよなあ」

 ここで脇にいた在日看護師のキム君が口を入れる。

 「自分の方から選ぶ機会はそうそうあるもんじゃないですからね」

 「本当だよな。女子の場合は常に女子の方が選ぶ側だ。男は選ばれる側で選択権がない。『まずい』って言われたりしてな」

 「凹みますね」

 キム君は自分で調子に乗って参入して置いて、そこで自分が凹んでら。この若者には彼女がいないのだったな。

 いつも通りさらに脱線して、横道に走りそうになったところで、ユキコさんが叫ぶ。

 「いいから、必ず持って行きなさああい(怒)」

 「はいはい、分かりました。ではストロベリー味のを」

 年齢はユキコさんの方がかなり下だが、こういう時には母親に対するのと同じ姿勢になる。

 

 治療が終わり、食堂に行く。

 最近、いつも同じオバサン患者の隣の席になるが、この日もそうだった。

 コロナ時期の習慣で、患者同士ではほとんど話をしないが、話し好きの人らしい。ま、今は割と自由にはなった。

 「相手の懐に飛び込んでからが挨拶だ」と言うから、このオバサンにも挨拶を展開することにした。

 まずは接点を探すところから。

 「ご飯が固いとは思わないですか。病院食なのに、街の食堂より数段固い。固目に炊いた方が※本来の味が楽しめますが、食べるのは患者ですからね。『よく文句が出ないもんだ』と思うほどですが、ここは重篤な患者が多いからそもそも皆がお粥を食べているから、ご飯のクレームは出ません。今年の春先に急に固くなったのですが、何故だと思いますか?」

 オバサンは首をかしげて考えた。

 「何でしょうね」

 「まずひとつ目は、調理師のチーフが替わったということです。年度の変わり目にレシピがガラッと変わったのは、主任が替わったからですよ。年齢は四十台後半で、子どもはいない。普段がっつりを飯を食う、その飯の好みにどうしても近づいてしまう。品目の配分から見て、埼玉の上尾付近の出身で、栃木の学校に行った。一般企業でも働いたことがありますね」

 「そんなことまで分かるんですか」

 そりゃそうですよ。仕事で八千人も面接してれば、正解不正解は別として、「筋道を見取る」ことは出来る。

 生姜焼き定食みたいなのを常食にしてれば、こんな固いご飯が一番合う。

 

 だが、ここで入り口に停めてある給食のキャリアカートが目に入った。

 ここでもう一つ「やたらご飯が固い理由」が分かった。

 「別の要因は保温ですね。十二時頃にあのカートで運ばれてくる訳ですが、ここの病棟では治療が終わった順に一時から三時頃の間に食べます。我々は遅い方で三時頃。作ってカートに入れたのが十一時だから、四時間近くこのカートに入っていた。こいつは保温用で、割と高温に保たれます。温度が高いので、水分が飛んで固くなる。胃にのしかかるくらい固いですよね」

 ま、固い方が美味いとはいえ、調子が悪い時には負担が生じる。

 話をしながら、オバサン患者のことを観察したが、この地域ではよくいるお茶農家の人のほう。日焼けに特徴がある。

 頬かむりをして作業をするが、しかし眼の周囲数センチに日焼けが出来る。

 いいねえ。なるべく仲良くなり、いずれお茶農家の裏話を聞き出そう。

 とかく「その道の人」の話は面白い。傍で見ているのとは世界がまるで違うもんだ。

 

 食事を終えて更衣室に行った。

 まともに立てない状況なので、着替えをするのにも時間がかかる。

 休み休み服を着替え、出口に向かった。

 外に出ようとすると、当方は気付かなかったが、オバサン患者が「お疲れさまでした」と声を掛けて来てくれた。

 「今日のご飯は本当に硬かったですよね」

 オバサンの言葉の音感では「ご飯が硬い」と聞こえる。

 頭の中で「『ご飯がかたい』の時は『固い』と『硬い』のどっちだっけな」と考えつつ、病院を出た。

 とりあえず「オバサンへの掴みはOK」だったようだ。

 

 画像はユキコさんに持たされた栄養ドリンクと、息子が「父の日」にくれた焼酎。

 この焼酎は香りが良くてかなり美味い。

 寝ている息子を起こして、「これ美味いぞ。幾らだった?」と訊くと、息子は「五千円」と答えてすぐにまた眠り込んだ。