日刊早坂ノボル新聞

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◎病棟日誌 悲喜交々 6/21 「蕨と蝮」の話

病棟日誌 悲喜交々 6/21 「蕨と蝮」の話

 この日は通院日。加えて眼科の診察もあるから、朝イチで病院に入り、出るのは夕方になる。眼科はやはり長い。

 診察室の前で待っていると、傍にオヤジたちがいて何やら話をしていた。

 「さっきいた人はなでしこジャパンでワールドカップで勝った時の選手だよ」

 MFだかDFだったらしい。

 ふうん。誰だったかな。

 

 眼科を終え、普段の病棟に戻る。

 「今日は夕方までずっと病棟に居られる。いやあ嬉しくて嬉しくて」

 反語的な愚痴なのだが、この日の看護師は「常にポジティブ」なユキコさんだ。

 「この病棟が好きなんですか」

 そんなわけはねえだろ。

 否定するのもなんだし、かといって「親切な看護師さんと一緒に居られるでしょ」という愛想を言うのも気が引ける。

 「ここんところ、調子が悪いから寝ていられる方がいいですね」とスルーした。

 

 すると、ユキコさんは思わぬことを言った。

 「とにかくゆっくり休んだ方が良いですよ。あの日は顔が真っ黒でしたもの」

 これは発症の当日のことだ。朝八時には三十五度六分だったのに、十時過ぎに三十八度になり、十一時には四十度。

 その後は夕方まで記憶がない。

 その四十度付近の頃に「顔が真っ黒」だったというわけだ。

 

 「この病棟では顔の黒いジジババをよく見ますね。お亡くなりになる直前の顔がそれだ」

 その時の顔の黒さを見て、ユキコさんは「絶対に重症化する」と思ったそうだ。

 「今だから言えますけどね」

 

 そう言えば、二年続けて五月に「顔が黒く」なってら。

 昨年は一昨年秋からの「稲荷の祟り」が最高潮に達したのが四月五月で、五月にはひと月で五キロ近く体重が落ちた。半年では合計十二キロ減だ。

 持病アリの当方らは、三月と九月の季節の変わり目に具合が悪くなるのが、まさに「年中行事」になっているのだが、それ以外にも時々、体調を崩す。

 そしてそれは多く「命に関わる」程度の症状だ。

 ま、今は二キロ戻したが、体重が落ちたら、高血圧や糖尿病系の加療が不要になった。薬が四五種類減ったが、別のと入れ替わっただけ。

 血圧は「やたら落ちる」ようになり、治療中にも八十くらいに低下する。たまに六十で、さすがにその域では足が動かない。

 亡くなる前年の母の症状と同じ。

 心肺機能が落ちている。

 

 「味や匂いは分かるようになりましたが、後遺症が割と重くて、倦怠感が尋常ではないです。二階に上り下りするのもひと苦労ですよ」

 こんなのは何時まで話しても何も変わらぬから、話題を切り替えた。

 「そう言えば、もうタケノコは食べられなくなってますよね。今年は美味しいのを食べずに終わったなあ」

 この手の話題は、ユキコさんの独壇場だ。

 「この春のは終わってますね。蕨ならまだ出てますけど」

 「蕨は灰汁取りや茹で方が面倒なんですよね」

 ちょっと茹で過ぎるとベタベタになる食材で、調理の加減が難しい。その分、技術差がはっきり出る食材で、名人の手に掛かれば、俄かには信じられぬような味になる。

 当方は田舎者だが、その当方の田舎の近隣でも、「山菜名人」はわずか。適度な硬さを保ち蕨本来の味を引き出すには、熟練の技が要る。

 だがそれが出来ると、山菜を載せた蕎麦(蕨蕎麦)を食べて、感動するようになる。

 山家の味の真骨頂だ。

 ここでユキコさんは平然と答えた。

 「蕨はひと晩灰汁取りをして、六十度くらいのお湯で茹でるのが良いんですよ。ベタベタにならないもの」

 うわあ。惚れるなあ。

 昔は「山ひとつあれば飢えることがない」と言われていたほどで、季節を通じかなりの食材が得られる。町場の者には「ただの雑草」だが、美味しく食べられるものが沢山ある。

 山の入会権を巡って殺し合いになるほどだった。

 

 文字テキストでは得られぬ知識は、他の何にも代えがたい。

 グーグル先生もウィキペディアも教えてはくれんし、そもそも教科書が無い。経験とそれに裏付けられた口伝えだけ。

 当方の頭の中では、ユキコさんは「もはや女神」の域になっている。

 そのついでに、デートして激しい情事を重ねるところまで妄想を抱いてしまった。

 ま、妄想だけなら罪にはならない。

 妄想で止められるかどうか、あるいは「つい出来心」で数回道をそれた時にすぐに軌道を修正出来るかどうか。

 その辺が「常識の範囲」と「ヒロスエ主義」との違いだわ。

 

 ここで思い出したのが、子どもの頃に近所に住んでいたケンゾーのことだ。コイツは同級生で、猿みたいな風貌だったが、やはり山のことには詳しかった。

 ケンゾーがいれば、どんなに山の中に深く入り込んでも不安が無かったから、時々、山中に探検に行った。 

 ある時、二人で沢を上っていると、小さな滝があった。

 その脇を上ろうとすると、ちょうど頭くらいの高さの岩の上に太い蛇がいた。二㍍くらいの長さの蛇がとぐろを巻いていたわけだ。

 すると、ケンゾーは杖代わりに持っていた木の枝を振るい、その蛇の頭を打った。

 蛇がぐったりしたところで、ポケットからマキリのような小刀を出し、あっという間にくるくると蛇の皮を剝いだ。

 その仕草が何気なく、手早かったから、出来事自体はほんの数分の話だ。

 皮をしまい込むケンゾーに「皮をどうするのか」と訊くと、「(何か)に使う」と答えた。(何かは忘れた)。

 「ところで、その蛇は一体なんて言う蛇なんだよ?」

 するとケンゾーは、平然と「糞蛇(蝮)」と答えた。

 ええええええ。

 おめー、しくじれば命に関わる話だったじゃねーか。

 蝮はいざ相手を敵と見なすと、その敵に向かって三㍍くらいは「飛んで来る」んだよ。

 で、その牙にかかれば、場所によっては病院い行く途中でお陀仏だ。

 それをケンゾーはこともなげに、平然とやっていた。

 これが緊張感が無く、「ごく自然な動き」だったので、きっと蛇の方も警戒しなかった。

 その時に心底より、コイツに敬意を覚えた。

 他の者が逆立ちしても叶わぬ経験と実知識だ。

 教科書的な文字テキスト知識を集めて語るやつとは違うんだな。

 当方や他の多くの者のように、実際は何も知らず経験がないのに、小知恵を振りかざして出来る「ふり」をするのとは違う。

 

 ここから脱線するが、普段のケンゾーはすごく大人しいヤツだった。猿顔なので、同級生からは「猿」「猿」とからかわれていた。ケンゾーは別段それに対し怒りもしなかった。

 当方はもちろん、ケンゾーをそう呼んだことはない。

 蝮の一件があるから、ある種の敬意を持っていた。

 中学生の時に姫神山の山開きに行かされたのだが、その時に盛岡市内の中学校も来ていた。その中には不良がいて、別の学校の生徒を見ると、何やかやちょっかいを出して来る。

 当方もからかわられたが、「諍いを起こしても得するものが無い」と考え、無視していた。

 ところが、ケンゾーはどういうわけか、三四人の不良に捕まって「猿」「猿」と執拗にやじられた。

 当方はケンゾーを助けるわけでもなく、そのまま黙って見ていた。

 「こいつらはケンゾーのことを知らない。いざコイツがその気になったら簡単だろ」と思っていたのだ。

 ちょっかいが執拗で、肩を小突かれたので、ケンゾーがさすがにキレた。

 ケンゾーは山に行く時にはやはり杖代わりの小枝を持っている。

 ひと言も声を出さず、ケンゾーはその木の棒で、不良たちを打ち据えた。それも骨が折れるのではと思うくらいの強さだった。

 それからの不良たちの逃げ足の速さと来たら、それこそ見物だった。体中に青タンが出来ていた筈だ。

 当方はもう一人の同級生とそれを見ていたが、そこで手を打って喜んだ。

 「やっぱりやったか。ケンゾーは大人しいが、いざキレたら尋常じゃないからな。町場の者じゃかなねえべ」

 あの不良たちは、学校に帰っても、その出来事のことは一切語らなかっただろうと思う。たぶん、その後一生だ。

 

 中学を卒業してから、ケンゾーと会ったのは一度だけだ。

 二十六七の頃に、盛岡駅の構内で偶然会った。

 ケンゾーは「※※年ぶりに家に帰る」と言っていた。

 その時のケンゾーは、長い足元まで届くコートを着ていたが、すぐに「今はヤクザ者か遊び人の類」だと分かった。

 何故ならその当時の当方はバイト代わりにヤクザ者と麻雀を打っていたから、いいつもその手の人種を見ていたのだった。

 「ケンゾー。羽振りがよさそうだな」と訊くと、ケンゾーは 「ま、色々あってね」と答えた。

 中学校を卒業してから、関東の工場に努めたという話を聞いたことがあるが、そこは辞めていたのだ。

 今何をしているのかは訊かなかった。風体を見れば分かる話で、ケンゾーはホストの出来る面相ではない。

 

 当方は「たぶん、工場でも色々あったな」と想像した。

 ケンゾーは普段は大人しいせいか、「とにかくちょっかいを出されるタイプ」だった。同僚などに酷い目に遭わされたのだろう。

 で、最後にはキレて応酬する。これが半端ないから務めを辞めることになる。

 そういう者を、筋者の世界ではやさしく受け入れるから、自然とその仲間になって行く。金周りは良くなったかもしれぬが、リスクの方が大きい。

 その時、ケンゾーの連絡先などは聞かなかった。

 「ヤクザ者と名刺交換をしない」という原則を守ったのだ。

 その後、二十年くらいして、同じ小中学の同級生だったヨシコちゃんにケンゾーの消息を聞いた。ヨシコちゃんは畑を隔てた隣家の娘だが、同い年なのに小中学で同じクラスになったことが一度も無い。

 「ケンゾー君は何か事件を起こして、家に戻っていたけれど、お酒の席で暴れて警察沙汰になったよ。粗暴だと言うので、行政命令で精神病院に措置入院させられた。で、あんな死に方をして」

 「あんな死に方」と言うところを見ると、皆が知るような出来事があったらしい。当方は関東にいたから、田舎の出来事については知りようがない。

 どんな出来事かは聞かなかった。

 だいたい想像がつく。

 どういうわけか、ケンゾーにはくだらぬ奴が執拗にちょっかいを出して来る。これは傍で幾度も見ていた。

 ケンゾーが大人しくて、言いなりになると思ったら大間違いで、コイツは「瞬時に蝮を叩き殺す」奴なんだよ。

 自分の人生の中で「無条件に尊敬するひと」が何人かいるが、ケンゾーもそのうちの一人だ。

 二㍍の蝮の一㍍前に立って、十五秒で叩き殺せる奴はそうそういない。

 

 思い出を語ることは、最高のご供養だというから、少しはケンゾーの供養にもなったかもしれん。

 それだけではなく、当方的にはケンゾーの人生ストーリーを話として残したいのだが、状況(体調)がそれを許すかどうか。

 小中学校の同級生でも、ケンゾーの本当の姿を知らない。それを知るのは当方を含め数人だけだ。

 

 画像は当家の庭のブドウ。一切手入れをしていないので、その年によって実の入り方が違う。冬場のたい肥と春夏の剪定が重要なようだ。

 実入りはともかく、この季節の青葉は「生きることは素晴らしい」と教えてくれる。