◎必要なことをすればよいだけ
家人は典型的な「一般人」だ。
小学校は一両日中に夏休みに入るので、この日は早めに帰宅したが、ダンナは病院にいるというのに「駅まで迎えに来い」と七回も電話を寄こした。
だが、こちらは病院の中だし、ベッドに横になっている。電話など見ぬから、連絡が来たことも知らぬ。
私が帰宅すると、家人は庭いじりをしていたが、「何だか背中が痛い」と言う。
「庭で土いじりをする度に、背中や肩がやたら重くなる。何かあるんじゃないだろうか。この土地の神さまが怒っているのかも」
ああ、これは世間の人の典型的な反応だ。
「庭仕事をしていたんだし、まずは筋肉痛だろうな。また、なにか気になることがあれば、ささっと対処すればよい。お水を供えて、『悪気はありませんのでお許しください』と唱える。それでも変事が続くなら、手順に沿って先に進めばよい」
ま、「おかしい」「何かある」と口にするだけで、何もしないのが「典型的な一般人の反応」だ。
身の回りに怪我人が出たりして、初めて動き出すが、その時はパニックになっている。
「それじゃあ、あんたの学校の先生たちと変わりないよ」
勤務先では、年度初めに教員の怪我や事故が相次ぐので、例年、「沼の障り」が囁かれるという。
学校の敷地には、元々、沼(湿地)だった一角があり、ここを埋め立てて建設したので、「地縁の問題がある」と言う人がいるそうだ。
それなら、教員が揃って年度初めにお祓いをして、『今年もここを使わせてください。子どもたちを育てるためです』とお願いすればよい話だ。それで止まらぬのなら、神職を呼んで祈祷をしてもらうなど、必要なことをすれば良いだけの話だ。
だが、やらない。迷信を振り撒くだけ。
ま、小学校の場合は、年度当初なら「新任でこの地に不慣れな教員が多い」というごく普通の合理的な原因の方が先にある。
家人だって、日頃はやらぬ庭いじりをやったから、筋肉痛が起きて当たり前だ。
「庭にある鉢植えが、一瞬のうちに全部さかさまになっていた」みたいな話なら、それこそ「何かある」話だが、普通はサロンパ※を背中に貼って休めば、数日で治る。
ボケナスな話だ。
でもま、ボケナスな頭でもそこは家人なんだし、明日はダンナが代理となり地鎮の祈祷を行おうと思う。
当たり前のことを普通にやっていれば、問題をこじらせることなく「あっさり通過出来る」ことがほとんどだ。