日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎声が聞こえる

◎声が聞こえる

 夕食時に家人が口にした。

 「最近、窓の近くに座るようにしているけど、すぐ外で女の人が何か話すのが聞こえる。今日も聞こえた」

 最近、家人はペーパークラフト作業専用の椅子を買い、窓際で紙を切っている。

 すると、居間の窓の近く、間に小さい庭を挟んだ「フェンスの外」くらいの位置から、女性がかさこそと話をする声が聞こえるのだそうだ。

 当然だが、ダンナは明るく答えた。

 「きっと近所の奥さんたちが井戸端会議でもしてるんだろ」

 だが、家人は納得していない模様。

 「でも、今日は雨だし、声も一人だけど」

 「じゃあ、雨の音がそんな風に聞こえるんだろうな」

 

 そう答えたが、これは「その辺で家人を留めて置いた方がよい」という考えからだ。

 窓の外の声は当方にも聞こえる。

 それも、フェンスの外ではなく、窓ガラスに顔がくっつくくらいの間合いで話していることが多い。

 これは場面を想像するとちょっと怖い。ホラー映画で使えそうな場面だ。

 (同時進行的には、別に何とも思わないが。)

 

 しかし、家人と違い、当方の場合は頻繁に聞こえる。

 場所も「辺り構わず」だ。

 出張で地方のホテルに泊まると、まずは100%に近いくらいの割合で、隣の部屋からボソボソと話す声が聞こえる。

 これは周りが寝静まった深夜のことが多いが、日中では別の物音が多いから、ということだろう。

 夜中にあんまり隣が煩いので、翌朝、帳場に文句を言うと、「昨夜その階に泊られたのは、お客さまだけですが」と言われたりする。

 

 だが、何事にもひとは慣れるから、今は何とも思わなくなった。

 家人はこういうダンナと一緒に暮らしているから、次第に影響され、波長が合って来たのだろう。

 ま、ここからは先に進まぬ方が穏やかに暮らせる。

 何せ、それが現実なのか、想像や妄想なのか、幻覚幻聴なのか、当方にはほとんど区別がつかない。総てが想像や妄想であって欲しいが、玄関のノック音は家人にも聞こえていたし、時々、家人も家の中でひとの姿を見るようだ。

 

 最も確からしい判断材料は、この「声」だ。

 普通は「鮮明な姿を見る」ことで「存在する」と見なすのだろうが、これはあの世のことをまるで分かっていない者の考え方だ。この世のルールとあの世のそれとは全然違う。あの世(幽界)は人間の可視聴域の少し外側にあるから、本来的に「おぼろげ」なものだ。こちら側に寄っているのは「たまたま」に過ぎず、それをもって存在の証拠とするのは、あくまでこちら側の尺度になる。

 ただ、「声」はこころに直結しているから、口調や話の内容で「(実際に)来たな」と判断できる。

 

 どういう女が声を出していたかは承知している。

 今朝、通院しようと家を出ようとしたが、床に置いたバッグを取ろうとすると、その隣に「女」が座っていた。

 おそらく0.2秒か0.3秒の間だったが、たぶん、その女だと思う。

 

 事態が分かったので、二階の自分の部屋に上がり、これを書きながらお焼香をしている。今はその最中になる。

 あれこれと語り掛けて慰めるのだが、今の当方の状態を傍で見れば、「姿の見えぬ誰かに向かって話しかけている」状態だ。

 かなり「アブないひと」に違いない(w)。

 

 ちなみに、深夜のブツブツ声への対処策は「目覚めている」というものだ。このため、当方は一時から三時半くらいまでは必ず起きている。

 声が聞こえたら、その場所に行き、「何ですか。言いたいことでもあるの?」と訊くと、声は消える。

 これが眠っている間だと、頭がうまく働かぬので、あれこれと吹き込まれてしまう。

 よって夜中はいつも起きている。