◎夢の話 第922夜 里帰り
十日の午前四時に観たとりとめのない夢です。
長い時間運転し、郷里に着いた。
途中でかなり寄り道をしたので、十六時間くらいかかった。
さすがにかなり疲れている。
父の店に行くと、その父が店内を見回っていた。
父は施設にいる筈だが、出ていたのか。
「今、帰って来たから」
「よく来たな。疲れただろ」
ここで父が箱積みだれた西瓜に目を遣る。
「じゃじゃ。なんでこの値段になっている。もっと安くしないとダメだ」
何かセールをやっており、今日明日勝負がかっているらしい。
そこに事務のサイトーさんが通り掛かる。
「あらお帰りでしたか」
この時、俺は自分が三十歳くらいだと気付いた。
「今日は人が足りなくて困っているんです。店のジャンパーを着てみます?」
手伝ってくれないか、という意味だ。
手伝うこと自体は全然かまわないが、疲れで脚が笑っている状態だった。
「さすがに今は無理です。ひと眠りしてからですね」
俺は商売の押し引きが下手なのだが、相手の顔を見て「コイツがどれくらいで買えるのか」くらいは分かる。
多少安くして益率が下がっても、売り切れば、父は文句を言うまい。
何がしかの足しになれれば嬉しい。
ここで頭の別のところで、別の自分が囁く。
「田舎に行き、親父に会いたいが、今はコロナで面会が出来るかどうか。しかも関東からでは、実際にリスクを抱えてる」
うーん。俺と父のどちらかが倒れる前に会いに行かねば。
すると、ここで別の知人のことが頭に浮かぶ。
「あれ。あの人の具合が悪くなりそうだぞ」
寒くなって来たから、柚子湯を勧めた方がよいかもしれん。
ここで覚醒。
誰かのことを、順番に案じる内容だった。
ま、自分がしっかりしなくては、そもそも会いには行けん。
父は大丈夫なのか。
ところで、駅には山ほどの幽霊が立っているから、どうしても車で移動する方を選んでしまう。
電車を降り、駅の外に出ようとする時、体が急に重くなるのはそのせいだろう。
次に里帰りする時は、やはり車での片道二泊三日くらいで、「中温泉二日」で設定する必要があるかもしれん。こんな時GOTOは助かる。
追記)父は子ども時代に食べるのに困る暮らしを送っていたこともあり、生活の苦しい客が来ると、平気で「これも持って帰って、爺さんに食べさせろ」と山盛りのおまけをつけていた。
地域一帯の家の内情をつぶさに知っていたからだが、仕入れ価格より安く渡すことも多かった。
グロス計算で、「トータルでプラスになればそれでよい」という勘定の仕方だ。
そういう感覚は勤め人にも、当方にも無いから、商売に向く人とそうでない人の違いは歴然だと思う。
当方は傍で見ていて、子ども心に「それじゃあ、損しちゃうじゃないか」と思っていた。
当時は「考えられん」と不満だったが、今は尊敬している。
千五百円売りの西瓜を「コイツは余りものだから、四百円で持って行ってくれないか」と勢いよく渡すので、客はすぐに買って帰った。
ここは「売ってやる」という姿勢ではなく、「買ってくれないか」だ。
貧しい家庭では、西瓜など買えない。
「子どもたちが食べたいだろう」から渡すのだが、そんな考えを塵ほども表に出さない。
「同情されるくらいなら死んだほうがまし」が貧乏人根性だ。
父は常に正しい。