日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎叫び声が聞こえる

◎叫び声が聞こえる

 居間で眠り込んでいると、家の裏の方から叫び声が聞こえ、その声で目覚めた。

 家の斜め後ろには三階建てのマンションがあるのだが、その建物の方から聞こえる。

 「ああ。女房が言っていたのはこれか」

 家人は時々、「マンションで夜中に叫ぶ女の人がいるから困る」と言っていた。

 ダンナ(私)が耳にするのは、これが初めてだ。

 

 声はマンションの上の方から聞こえるから、二階か三階からになる。

 かなり悲痛な響きだ。

 身内の者が亡くなったりすれば、こんな風に泣き叫ぶかもしれんが、まあ、滅多聞ける声の調子ではない。

 家人は「きっと夜中に酔っぱらって騒いでいるのよ」と言うが、酩酊した者が出すような声でもない。

 「一体、どういうことだろ」

 少し考えさせられた。

 

  酔っぱらった若者が騒いでいるのなら、どうということもない。

 声自体は数分で止んだから、苦情を申し立てるほどでもない。

 普通に暮らしていても、気落ちして泣きたくなることは幾度かあるだろう。

 近年はとかくせちがらい世の中になり、他人のことにいちいち腹を立て、問題視する風潮になっているが、ま、「そんなこともあるよな」で概ね済む。

 

 だが、ここで気付く。

 「通夜の席でも滅多に聞けぬような泣き叫び方をしていたが、あれって生きている人の声なのか」

 「あの世の者」が生きている者に囁くのは、半覚醒状態の時が最も多い。

  前頭葉がほとんど休止しているが、僅かに意識が残っている。

 そんな状態の時だ。

 

 ここで私自身の実体験を思い出した。

 昔、十八歳の時に、私は寮生活を送っていたことがある。

 その寮が建っていたのは元々が墓地だった山の斜面で、墓地の半分を作り直して建物を作ったのだ。

  きちんと処置していれば問題は起きないのだが、建設会社の対応が不味かったらしい。

  そこで暮らしたのは一年間だけなのだが、時々、寮の中に幽霊が徘徊した。

  寮生の一人は部屋の扉の側に「何か」に立たれ、恐怖のあまり、窓から隣の部屋の窓に飛び移った。そして、その窓ガラスを蹴やぶってそっちの部屋に逃げた。

 たまたま私はその「窓を破られた側」の寮生の扉のすぐ外に居たのだが、飛び込んだ方の寮生は恐怖のあまり小便を漏らしていた。

 その時は「よほど怖い夢を観たんだな」と思ったが、しかし、ひと月も経たぬうちに、私自身が同じことを体験したのだった。

 

 それはこんな具合だった。

 夜の十時頃、部屋のベッドで眠っていたが、窓の外から声が聞こえる。

 その寮も三階建てだったが、時々、寮生が屋上で話をしていたから、その話し声かと思った。

 「煩いなあ。こっちは寝てるのに」

 ところが、その声が次第に大きくなってくる。

 「どうして俺は・・・、だったんだよ。・・・なんで・・・じゃないんだ」

 何かをしきりに悔やむ内容だ。

 そして、すぐにそれが「呻き声」から「叫び声」に近くなった。

  ここで私はほとんど目が覚め、上を見上げると、窓の外に「誰か」が立っていた。

 擦りガラスの外に、うっすらと人の顔の肌色が見える。

 その「誰か」が頭の上の方で声を出していたのだ。

 私の部屋は二階だったが、斜面に建っていたので、地面からはかなりの高さにある。

 そして、その部屋の窓には、桟がついていなかったのだ。

 要するに、窓の外に立てる者はいない。

 その「誰か」は空中に浮いていた、ということだ。

 

 恐怖心のあまり、暫くの間、まったく動けずにいたのだが、ふっと呪縛が解ける瞬間があり、その隙に私は床を四つん這いになって部屋の外に逃れ出た。

 その時の「声」はいまだに忘れられない。

 後にも先にも、私が「腰を抜かした」のは、「深夜、郷里の実家の部屋の外に僧侶が立った」時と、この寮での出来事の時しかない。

 

 ちなみに、人間はどんな環境にも慣れて来るようで、その年の終わりごろには、深夜、避難ドアから寮を抜け出して、墓地の中を通って街道まで下りるようになっていた。そして道に停まっている屋台でラーメンを食べていた。

 

 おそらく数十人は私と同じ声を聞いただろう。

 その寮があったのは、東京都下で、あの「手首ラーメン事件」のあった場所から数百メートルの位置になる。

 寮の状況に耐えられなかった者も居り、一人が自死を選んだ。

 私が声を聞いたのは、その寮生が亡くなった後だから、あるいはその寮生の漏らす苦痛の声だったのかもしれん。

 

 その後は行く先々で「声」を聞いている。

 普通の旅館やホテルに泊まっても、壁の向こうから「助けて」と叫ぶ声が聞こえる。

 隣室に宿泊客がいない時でも、ぼそぼそと話し声が聞こえる。

 どこに行っても同じようなことが起きるので、次第にそれが生きている人の声なのか、あの世から届く声なのかがよく分からなくなっている。

 それほど回数が多いのだ。

 

 さて、深夜の一時に女の叫び声が聞こえる。

 果たしてあれは、何か悲しい出来事があった人の声なのか、それともそれを抱えて死んだ者の声なのか、今の私にははっきりとは分からない。

 

 追記)

 寮を出て三十年近く経った頃に、「そろそろトラウマを克服しよう」と考え、その寮があった辺りを訪れてみたことがある。

 しかし、そこには何もなく、寮を思い出させるような痕跡もない。

 あの幾年か後、その寮はとある専門学校に売却され、十年くらい使用されたが、その後取り壊されたようだ。

 おそらく今は大きなマンションが建っている辺りだが、建物が替わっても、きちんとご供養をしない限り、変異は続く。新旧はあまり関係がないのだ。

 

 新築の巨大マンションに引っ越してみたら、そこはお化け屋敷だった。

 そんな事態がきっと起きていただろうと思う。