日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎ひとつ克服しました

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

◎ひとつ克服しました
8月3日に因縁の地に行きました。
30年の間トラウマになっていた件を解消しようと思ったのです。
今は決着が付いたので、地名等は実名で書きます。
(なお、その時の体験は、これまでブログやFBに何度か書いています。)

まだ十代の私はこの地、西武柳沢にある寮で生活していました。
その寮は新築で3階建て。1回生となる寮生は260人を超えていました。
秋口の夜更けに、自室のベッドで横になっていた時のことです。
3畳ひと間の部屋は半分がベッドで、窓側が机になっています。
窓の方に頭を向けていたのですが、上のほうから声が聞こえました。
ブツブツと呟く声で、言葉は聞き取れません。
「ああ。また誰かが屋上にいるのだな」
春先に、屋上で酒を飲んでいた寮生がいて、騒動になったことがあります。
無視していると、呟き声が大きくなってきました。
「オレはなんで※※※※だよう」
何かを「した」とか「しなかった」ということに関する後悔の言葉でした。
何気なく上を見上げると、擦りガラスの上のほうに人のシルエットが見えます。
天井に近い高さのところに、顔らしき影が見えました。
男です。
そこで私は戦慄を覚えました。
そこに見える男はガラス窓の外に立っています。
ところが、私の部屋は2階で、窓には桟が無かったのです。
すなわち、その人は空中に浮いていたことになります。
「うわあ。こいつは人ではない」
その瞬間、体がまったく動かなくなりました。
いわゆる「金縛り」というヤツです。
それから、どのくらい、その男の悔やみごとを聞かされたのでしょうか。
長い長い時間が経ち、ある一瞬で体が動くようになりました。
私はベッドを降り、ドアまで這って行って外に出ました。

こういう経験をした寮生は私一人ではなかったのです。
それから程なく、夜の8時頃に2階の寮生の部屋を訪れていると、突然、ガッシャーンと窓ガラスが壊れる音が響きました。
隣の部屋からでしたので、そちらに向かうと、その部屋には本来の主の寮生の他に、もう一人がいました。
そのもう一人が、その部屋の窓ガラスを蹴破って、隣の部屋から移って来たのです。
その寮生は顔面蒼白で、パジャマのまま小便を漏らしていました。
私はすぐにその寮生に起こった事態が分かりました。
おそらく彼は私と同じことを経験していたのです。
たぶん、あの男にドアの側に立たれたので、彼は窓のほかには逃げ場が無かったのでしょう。
そこで、窓から逃げようとしたが、そこは2階。
仕方なく、隣の部屋の窓を蹴破った。
「どうしたんだよ。何があった」
そう尋ねても、その寮生は「ああうう」と呻くだけで、一言も話せませんでした。

こういう経験をしたのは他にもおり、全体ではおそらく十人前後だろうと思います。
260余人中、十人前後が恐ろしい体験をしたわけです。
ところで、なぜそんなことが起きたのでしょうか。
その寮は、小山を半分崩して造成した区画に立っていましたが、その小山は元は墓地だったようです。半分くらいが残っており、百基くらいの墓石がありました。
寮の建物の後ろは墓地に接していて、夜中に寮を抜け出す際には、後ろの非常ドアから墓地に降り立って下に降りる。そんな環境です。
ひとつの考えは、状況的に見て、墓地の移転に問題があったのではないかというものです。
おそらく、お寺を運営していた宗教法人が経営難により、土地を手放した。
開発業者がきちんとご供養をせずに造成した、などというシナリオです。
墓地は基本的に静かなところですが、粗雑に扱うと、その途端に差しさわりが生じます。
でもま、こういうのは合理的な説明を求めるが故のこじつけです。

新設された寮の1期生で入寮したのに、七月には寮生のひとりが自殺するわ、秋には異様な体験をする寮生が続出するわ、冬にはすぐ近くの街道沿いで、屋台のラーメン屋のスープに人の手首が入れられたりするわ、で、この年は本当に散々な一年でした。
その時の陰鬱な気持ちがどうしても消えず、これまでその地に近づくことは無かったのです。
しかし、困ったことに、今でもその時の夢を観ます。
窓ガラスにうっすらと見える男の顔のシルエットの夢です。

「いつか克服しよう」
そう思っているうちにこの齢になってしまいました。
もはや「いつか」は来ないので、今回きちんと向き合うことにしたわけです。

電車に乗り、駅に着くと、その時点からものすごく緊張しました。
ところが、外に出ると、周りの情景はほとんど見慣れぬものばかりでした。
駅前は野原で、すぐ傍の商店数件くらいしか無かったのに、今はロータリーはあるわ、大きなマンションは建っているわです。
交番があったので、あの寮のことを訊いてみようかと思いましたが、30年以上前のことを尋ねても、分かるはずがありません。
あの後、数年で寮はある専門学校に売却されたようですが、今は地図に見当たらなくなっています。
おそらく、取り壊されて、別の建物になっているのでしょう。
毎年、どろどろと異様な出来事が起きたでしょうから、そうなるのも必然です。

道を進むと、いくらか記憶の通りの建築物がありました。
ガスタンクは昔のままでした。
となると、青梅街道沿いに歩いて行けば、あの寮があった付近を通るはずです。
そこから先に進み、その付近に着くと、住宅街の風景はあの頃とは一変していました。
寮の建物はもちろんのこと、周囲の個人住宅も無くなり、会社やマンションに替わっていました。
小山の上の墓地も消え、辺り一帯建物になっています。
「これが三十年の月日というものなのか」

あっという間にあの地域を通り過ぎ、交差点に差し掛かりました。
「ここを右に曲がると、お蕎麦屋さんがあり、よくカツ丼を食べたものだっけな」
遠くまで望んで見ますが、蕎麦屋らしき店構えは見当たりませんでした。
仕方なく、交差点を左に曲がり、東伏見稲荷神社の前を通って、駅に戻りました。
なお、稲荷神社とは相性が悪く、鳥居を潜った瞬間に具合が悪くなってしまいます。このため、稲荷神社だけは中に入らずにスルーすることにしています。
駅が見え始めたところで、鐘を鳴らし、般若心経を唱えて厄を落としました。
もちろん、ただの気休めです。有効なのは「念」の力だけで、お守りやお経はそれを強くするための手段に過ぎません。

「良かった。ようやく心の決着が付いた」
これで懸念が取れ、スッキリしました。
昔より今の方がこの方面に敏感なのですが、現地を訪れてみて、初めてあれが何だったのか分かりました。
窓ガラスの外で悔やみごとを呟いていたのは、自殺した寮生だろうと思います。
3階の寮生で、その場所に留まっていたので、上のほうに居たのです。
あの男が発していた言葉は、「なぜオレは死んじまったんだろ」です。
おそらく、死んだ後で、遺体を引き取りに来た両親のことを見たのでしょう。
私もそのご両親のことを見ましたが、憔悴して小さくなっていました。
そこで初めて親を悲しませていることを知った。
それを悔いていたのではないかと思います。
(もちろん、こういうのは想像であり妄想です。確からしいことはひとつもありません。)

今は大きな建物が建ち、あんなことは無かったかのような佇まいです。
でもま、あの辺一帯で暮らすうちの数パーセントの家族には、何らかの異変が起こっているだろうと思います。
亡くなった寮生もまだそのまま居ると思いますが、そこはもはや居住者がいない空間なので、影響はないだろうと思います。
そろそろ執着心が取れ、彼岸に渡れる時期が来ています。
合掌。