8月3日に因縁の地に行きました。
30年の間トラウマになっていた件を解消しようと思ったのです。
今は決着が付いたので、地名等は実名で書きます。
(なお、その時の体験は、これまでブログやFBに何度か書いています。)
まだ十代の私はこの地、西武柳沢にある寮で生活していました。
その寮は新築で3階建て。1回生となる寮生は260人を超えていました。
秋口の夜更けに、自室のベッドで横になっていた時のことです。
3畳ひと間の部屋は半分がベッドで、窓側が机になっています。
窓の方に頭を向けていたのですが、上のほうから声が聞こえました。
ブツブツと呟く声で、言葉は聞き取れません。
「ああ。また誰かが屋上にいるのだな」
春先に、屋上で酒を飲んでいた寮生がいて、騒動になったことがあります。
無視していると、呟き声が大きくなってきました。
「オレはなんで※※※※だよう」
何かを「した」とか「しなかった」ということに関する後悔の言葉でした。
何気なく上を見上げると、擦りガラスの上のほうに人のシルエットが見えます。
天井に近い高さのところに、顔らしき影が見えました。
男です。
そこで私は戦慄を覚えました。
そこに見える男はガラス窓の外に立っています。
ところが、私の部屋は2階で、窓には桟が無かったのです。
すなわち、その人は空中に浮いていたことになります。
「うわあ。こいつは人ではない」
その瞬間、体がまったく動かなくなりました。
いわゆる「金縛り」というヤツです。
それから、どのくらい、その男の悔やみごとを聞かされたのでしょうか。
長い長い時間が経ち、ある一瞬で体が動くようになりました。
私はベッドを降り、ドアまで這って行って外に出ました。
こういう経験をした寮生は私一人ではなかったのです。
それから程なく、夜の8時頃に2階の寮生の部屋を訪れていると、突然、ガッシャーンと窓ガラスが壊れる音が響きました。
隣の部屋からでしたので、そちらに向かうと、その部屋には本来の主の寮生の他に、もう一人がいました。
そのもう一人が、その部屋の窓ガラスを蹴破って、隣の部屋から移って来たのです。
その寮生は顔面蒼白で、パジャマのまま小便を漏らしていました。
私はすぐにその寮生に起こった事態が分かりました。
おそらく彼は私と同じことを経験していたのです。
たぶん、あの男にドアの側に立たれたので、彼は窓のほかには逃げ場が無かったのでしょう。
そこで、窓から逃げようとしたが、そこは2階。
仕方なく、隣の部屋の窓を蹴破った。
「どうしたんだよ。何があった」
そう尋ねても、その寮生は「ああうう」と呻くだけで、一言も話せませんでした。
こういう経験をしたのは他にもおり、全体ではおそらく十人前後だろうと思います。
260余人中、十人前後が恐ろしい体験をしたわけです。
ところで、なぜそんなことが起きたのでしょうか。
その寮は、小山を半分崩して造成した区画に立っていましたが、その小山は元は墓地だったようです。半分くらいが残っており、百基くらいの墓石がありました。
寮の建物の後ろは墓地に接していて、夜中に寮を抜け出す際には、後ろの非常ドアから墓地に降り立って下に降りる。そんな環境です。
ひとつの考えは、状況的に見て、墓地の移転に問題があったのではないかというものです。
おそらく、お寺を運営していた宗教法人が経営難により、土地を手放した。
開発業者がきちんとご供養をせずに造成した、などというシナリオです。
墓地は基本的に静かなところですが、粗雑に扱うと、その途端に差しさわりが生じます。
でもま、こういうのは合理的な説明を求めるが故のこじつけです。
新設された寮の1期生で入寮したのに、七月には寮生のひとりが自殺するわ、秋には異様な体験をする寮生が続出するわ、冬にはすぐ近くの街道沿いで、屋台のラーメン屋のスープに人の手首が入れられたりするわ、で、この年は本当に散々な一年でした。
その時の陰鬱な気持ちがどうしても消えず、これまでその地に近づくことは無かったのです。
しかし、困ったことに、今でもその時の夢を観ます。
窓ガラスにうっすらと見える男の顔のシルエットの夢です。
「いつか克服しよう」
そう思っているうちにこの齢になってしまいました。
もはや「いつか」は来ないので、今回きちんと向き合うことにしたわけです。
電車に乗り、駅に着くと、その時点からものすごく緊張しました。
ところが、外に出ると、周りの情景はほとんど見慣れぬものばかりでした。
駅前は野原で、すぐ傍の商店数件くらいしか無かったのに、今はロータリーはあるわ、大きなマンションは建っているわです。
交番があったので、あの寮のことを訊いてみようかと思いましたが、30年以上前のことを尋ねても、分かるはずがありません。
あの後、数年で寮はある専門学校に売却されたようですが、今は地図に見当たらなくなっています。
おそらく、取り壊されて、別の建物になっているのでしょう。
毎年、どろどろと異様な出来事が起きたでしょうから、そうなるのも必然です。
道を進むと、いくらか記憶の通りの建築物がありました。
ガスタンクは昔のままでした。
となると、青梅街道沿いに歩いて行けば、あの寮があった付近を通るはずです。
そこから先に進み、その付近に着くと、住宅街の風景はあの頃とは一変していました。
寮の建物はもちろんのこと、周囲の個人住宅も無くなり、会社やマンションに替わっていました。
小山の上の墓地も消え、辺り一帯建物になっています。
「これが三十年の月日というものなのか」
あっという間にあの地域を通り過ぎ、交差点に差し掛かりました。
「ここを右に曲がると、お蕎麦屋さんがあり、よくカツ丼を食べたものだっけな」
遠くまで望んで見ますが、蕎麦屋らしき店構えは見当たりませんでした。
仕方なく、交差点を左に曲がり、東伏見稲荷神社の前を通って、駅に戻りました。
なお、稲荷神社とは相性が悪く、鳥居を潜った瞬間に具合が悪くなってしまいます。このため、稲荷神社だけは中に入らずにスルーすることにしています。
駅が見え始めたところで、鐘を鳴らし、般若心経を唱えて厄を落としました。
もちろん、ただの気休めです。有効なのは「念」の力だけで、お守りやお経はそれを強くするための手段に過ぎません。
「良かった。ようやく心の決着が付いた」
これで懸念が取れ、スッキリしました。
昔より今の方がこの方面に敏感なのですが、現地を訪れてみて、初めてあれが何だったのか分かりました。
窓ガラスの外で悔やみごとを呟いていたのは、自殺した寮生だろうと思います。
3階の寮生で、その場所に留まっていたので、上のほうに居たのです。
あの男が発していた言葉は、「なぜオレは死んじまったんだろ」です。
おそらく、死んだ後で、遺体を引き取りに来た両親のことを見たのでしょう。
私もそのご両親のことを見ましたが、憔悴して小さくなっていました。
そこで初めて親を悲しませていることを知った。
それを悔いていたのではないかと思います。
(もちろん、こういうのは想像であり妄想です。確からしいことはひとつもありません。)
今は大きな建物が建ち、あんなことは無かったかのような佇まいです。
でもま、あの辺一帯で暮らすうちの数パーセントの家族には、何らかの異変が起こっているだろうと思います。
亡くなった寮生もまだそのまま居ると思いますが、そこはもはや居住者がいない空間なので、影響はないだろうと思います。
そろそろ執着心が取れ、彼岸に渡れる時期が来ています。
合掌。