日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎やはり部屋は空いていた

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平成二十八年八月三日撮影

やはり部屋は空いていた

 PCの片隅にフォルダがあり、その中に昔の旅日記(画像だけ)が入っていた。

 平成二十八年に東京のある場所を訪れた時の記録だ。意図的に別にしていたらしい、

 

 ウン十年前、一年だけこの地の学生寮に住んだことがあるのだが、そこで本当に酷い目に遭った。

 詳細は幾度も記したので省略するが、要するに「その寮は墓地山を半分崩して建てたもの」で、墓地移転の際の手続きを徹底しなかったのか、やたら幽霊が出た。

 新設の寮の第一期寮生だったのに、その三階建ての新築の建物にバンバン幽霊が出た。二百六十人くらいの寮生の中で、実際にそれを目にしたのは、私を含め三十人くらいだけではなかったかと思う。

 大半の者はまったく意識しなかったようのだが、一部の者は血の凍る思いをした。

 ま、今も似たようなものだ。幽霊に縁の無い者は実際に体験することが少なく、現実に目の当たりにしてもそれとは気付き難い。

 

 寮を出てから数十年経っても、その頃の悪夢を観るので、長らく「いつかは克服しよう」と思っていた。

 この年にようやく決心がつき、実際に訪れることにしたわけだ。

 駅前の町中華の天津丼は絶品だったし、寮の近くにある蕎麦屋かつ丼も美味かった。かなりの時間が経ったので望みは薄いが、まだ店があるならそこに行こうとも考えた。

 だが、さすが数十年も経っているので、寮自体は無くなっていたし、もう半分の墓地も消えていた。

 

 「これも時の流れだ。もう気にすることは無いのだな」

 そういう気持ちになった。これでもう悪夢のような記憶から解放される。

 そこから隣駅に向かったが、途中で神社の前を通った。

 せっかくの神社だし、お参りして行こうかと鳥居に向かうと、そこに行きつく前に、具合が悪くなってしまった。

 よく見ると稲荷神社だ。

 「なるほど。稲荷なら気分が悪くなっても仕方ない」

 私は稲荷神社に近づくと必ずこうなる。

 

 そこで後退りで神社を離れ、遠ざかったところで正面を撮影した。

 (ちなみに、今見ると鳥居の前で当方をガン見しているのが沢山いる。これでは近付けぬのも当たり前だった。) 

 京都の有名な稲地神社に行き、赤い鳥居を潜ったら、その途端に死ぬかもしれん。

 

 先ほど、たまたまこの時の画像を発見したので、何となく「あの寮はどうなったのだろ」と思い、調べることにした。

 住所をひと区画ずつ見て行くと、所番地を思い出した。

 やはり寮自体はかなり前に壊され、マンションになっていたようだ。

 「だが、あのホーンティングマンションがあのまま鎮まることは無いだろうな」

 ついその後の経過を調べたくなってしまう。

 マンションの履歴を見ると、今の建物は十年くらい前に建てられたものだ。分譲マンションなのだが、半年くらいで次々に空き家が出て、今では一部が賃貸に充てられている。

 賃貸部屋は低層階であることに加え、もはや買い手が付かなくなったのだと思う。

 

 何が起きたのかは容易に想像がつく。

 引っ越しする者は絶対に口外ししないで売りに出すから、都市伝説にもならぬわけだ。

 だが「スポット」としては、極めつけの地だ。

 墓地は基本的に幽霊の出難いところだ。埋葬され、きちんとご供養されているのなら、何ひとつ問題は無い。そこは元気な者が思い描く「ただの負のイメージ」で、病院と同じ。墓地や病院は「長く留まりたくない場所」なのだが、その記憶は幽霊になっても残っている。駅や学校よりもはるかに穏やかな場所だ。

 だが、扱いを間違え、対応を疎かにすると、何百もの報いがその地の者や関係者に向けられる。

 

 マンションの裏手に公園があるようだが、この辺は建物内より幽霊が出やすいと思う。この公園を訪れれば、きっと今も声が聞こえる。

 あの世関係の事物について、私はあまり恐怖心を覚えぬのだが、ここは未だに怖い。

 そして、かなり少なくなったが、今も夢に観る。