日刊早坂ノボル新聞

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◎古貨幣迷宮事件簿 「目寛見寛座縮字 鉄銭」

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目寛見寛座 縮字の検証

◎古貨幣迷宮事件簿 「目寛見寛座縮字 鉄銭」

 「取り置き箱」の雑銭を袋詰めにしようとしたのだが、一枚の鉄銭で手が止まった。

 「小さく厚い」銭容から、「目寛見寛座」の生産物であることは疑いない。もちろん、密鋳銭の一工期はせいぜい三旬までで、職人は工期ごとに移動するから、鋳所を特定することは出来ぬのだが、「工法が同じ」という意味で、八戸の代表格は「葛巻鷹巣」と「目寛見寛座」各々の系統に区分出来る。

 前者では概ね石巻銭を基に、背千で母銭を揃えている。

 後者では、その鷹巣の母銭から背千母銭を増やしたケースはむしろ少数で、一般通用銭を素材に母銭を作り直した。ごく普通の言い方をすれば、「充分な母銭の枚数を持たなかったので、新規に母銭を作ることから始めた」ことになる。

 ろくな鋳銭用具を持たぬところを見ると、食い詰めたその地の民を集めて、創意工夫で体制を整えたのだろう。目寛見寛座の銭のつくりは通常の工法とはかけ離れている。

 「母銭を持たない」ので、まずは母銭を作り始めるのだが、「質の良い鋳砂を持たぬ」から、きれいな母銭を作れない。山砂の雑な砂では平坦な地肌は望むべくもない。

 そこで仕方なく、効率は悪いが粘土で型を作った。これは乾燥させると、平滑な銭を作れるわけだが、ひとつの型で数回しか使えない。

 また、手早く肩を乾燥させようとすると、型自体が縮小・変形してしまう。

 この結果、目寛見寛座のあの独特の「藤の実」(目寛、見寛)が生まれた。

 作ろうとして作ったのではなく、「そうなってしまった」のだ。

 輪側の処理も、なるべく砂抜けをよくするために、農具の研磨で使うような砥石で仕上げた。このため、母銭の輪側は直角に立っており、断面が平滑となっている。

 とまあ、これが目寛見寛座のストーリーになるが、あくまで出来銭から見た推測による。たたら炉は一度作るごとに壊し、木材資源(炭)の豊富なところに移動して、再び炉を作る。このため、二戸から葛巻、あるいは軽米大野に至るまでの一帯には一千か所を優に超える炉があった。多くはづく鉄の生産が中心だったろうが、もちろん、銭も作った。

 

 さて、鷹巣座と目寛見寛座の端的な違いは何か。

 ひと言で言えば、「石巻背千を基盤に置いた」か「一般銭を基に母銭を作り直した」という違いだ。目寛見寛座にも背千銭はあるが、総て鷹巣背千を改造したもので、石巻背千直系のものはない。後者の主力は、鋳写し母を経て(中間一段階)、規格を揃えた銭種となる。

 型作りの特徴から、母銭を構築する途上で、銭容が著しく変化し、文字にも変化が生じる訳だが、「母銭一枚ごとに微妙な変化がある」ことで、変化は作為ではなく「型作りそのものから生じた」ものであることが窺われる。

 目寛は四つ宝銭の座寛、見寛は明和四年銭が基礎になるのだが、面文や全体の仕様などは元の銭からかなり離れている。しかし、どんなに見た目が変わっても、配置自体は礎に共通するものがある。

 

 以上は前置きだ。

 「その目寛見寛座の銭種のひとつに縮字があるが・・・」が今回のテーマになる。

 「小さく厚く」「輪側を砥石で仕上げた」、すなわち目寛見寛座の特徴を持つ銭種が幾つかあるわけだが、少数派の銭種のひとつが「縮字」になる。

 八戸領では「吉田島縮字」を基にする鉄銭が割と散見される。銭種としてはよくあるものなのだが、殆どの場合、「本銭を直接改造し(通用銭改造母)、これを母銭に充てて作った」ものになる。

 目寛見寛座の仕様を持つ縮字母銭(鋳写し母)が現実に発見されているわけだが、これを利用して作成した「目寛見寛座縮字鉄銭」になると、発見例はほぼ皆無と言ってよい。

 背元と同様に、母銭製作の段階で、積極的に採用されなかった銭種というわけだが、私もこれまで鉄銭を拾ったことが無かった。

 そもそも、目寛見寛鉄銭を見て、「これが本当に目寛や見寛なのか」と疑って眺める者はいない。たぶん。これまで故Oさんと私の二人だけではなかったか。

 そもそも八戸の鉄銭は面文が読めぬほどの代物なので、手の平に乗せた段階でウンザリしてしまう。

 ほとんどのコレクターは母銭を数種ずつ揃えると、その先には進まない。

 母子を揃えることには障害が多々伴うからだ。

 

 また、「目寛見寛座縮字」は、そもそも鋳写し母の段階で「面文がはっきりしない」という特徴があり、これが原因であまり作られなかったのだろう。

 となると、鉄銭探しにはより一層の困難が生じる。これは「判別できない」という現実的な問題だ。銭種がこれと分かる銭が少ないことが密鋳鉄銭の代表的な障害になる。

 「母銭に生じる変化」「通用銭に生じるむら」と、障害だけは事欠かぬのが八戸銭だ。

 

 さて、取り置き箱には「何となく違和感を覚える銭」を深く考えず放り込んであったわけだが、たまたま画像の品が目に入った。

 例によって、「永」字や「寶字」はほとんど見えぬのだが、「通」字の配置に特徴がある。

 「これはもしかして縮字では?」

 製作は紛れもなく目寛見寛座のものだ。

 検証してみると、どうやら縮字で間違い無さそうだ。

 (検証の途中段階は省略する。「聞く耳のない森に音は存在しない」からだ。)

 

 存在自体は知られているわけだが、実際に鉄通用銭があったわけだ。

 私としては初見品だが、これくらいの鉄銭があるとなると、「割ときれいな母銭も存在している」ことになる。

 存在数の少なさで言えば、「舌千大字を鼻で笑える」くらいの希少銭だと思われる。

 八戸縮字の九分九厘は「改造母」経由によるもので、「鋳写し母」からの経路は皆無。鉄銭を何万枚か見ているが、一瞥でそれと分かる目寛見寛座縮字は初めてだ。

 

 もし体調が少しでも回復し、あと数年の時間が貰えるなら、また最初から八戸銭の研究を始めようと思う。未開拓の分野で、かつこれまでの分類視角がまるで通用しないところが逆に楽しい。ここは母銭だけ眺めていても全然ダメで、そこがまたよい。

 公用銭座の理屈がまるで通用しないのも、「謎解き」としては最高だ。

 幾ら「分類」しようとしても、八戸銭からは何も見えて来ない。しかし、「どういう風に作ったか」「何を考えたか」を推測し、検証していく楽しさがある。

 

注記)いつも通り一発殴り書きであり、推敲や校正をしない。不首尾はあるが、そもそも自分で考えるのが道楽の道だと思う。