日刊早坂ノボル新聞

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◎古貨幣迷宮事件簿 「思い込みによるミスリード」

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違和感のある寛永密鋳銭

◎古貨幣迷宮事件簿 「思い込みによるミスリード

 今回は「盲点に気付いた」という小さい話だ。

 部屋の片づけを進めるに従い、未検分の鉄銭が出て来たわけだが、ほぼ総てが密鋳銭だった。

 手に取って眺めると、しかし違和感のあるものが混じっている。

 ①がそれで、地金と砂が八戸一帯の密鋳銭とは違う気がする。

 また、銭種は「尖がり千」系統の何かなのだろうが、八戸地方でこの銭種はあまり多い方ではない。

 そこで、同じ鉄銭の塊から、地金の分かりよい品を拾って並べてみた。

 ②から④は目寛見寛座の鉄銭の地金に近いもの。

 ⑤から⑦は軽米大野鉄山付近の密鋳銭に見られる地金だ。

 ここは「地金」の分かり良い品だけを並べただけなので念のため。密鋳銭では、まずは「必ず例外がある」ので、あくまで大雑把に分けた時の話になる。

 

 そこで、①は石巻の末鋳銭ではなかろうかと気付く。

 鉄の練りが微妙に違うわけだが、「密鋳銭の塊から出た」ことで、これも疑いなく密鋳銭だろうという思い込みがあったために遠回りした。

 盛岡から六七十キロも離れて、ようやく鉄雑銭の中の石巻背千類が減るわけだが、しかし、石巻銭は奥州全域に伝播しているということだ。

 

 ちなみに、⑧は過去に「銭種不明」として紹介した品だ。

 前回示したが、文字は不鮮明でも、「輪幅と内輪の径の比を見れば、凡その銭種は分かる」のだが、この輪幅に合う銭種は無い。

 裏面に文様が見える気がするので、中国銭、とりわけ清朝銭の写しではないかとも考えたのだが、画像を拡大してみると、「永」「通」「寶」の痕跡が見える。

 それではこれも寛永通寶の仲間と言うことが出来る。

 ただ、面背ともここまで濶縁である一文銭は銭種として見たことがない。

 長らく謎だったが、文字書体も突飛であることから、「木型で型を起こした」可能性があると思う。

 

 当四銭だが、私は一度「木型の寛永銭」を発見したことがある。

 雑銭を整理している途中に「妙に軽い銭」を見付けたのだ。

 ただ、状態があまり宜しくないのと、面背がきちんとあること。さらに「そんなものはない」という先入観から、脇に置いたまま消息不明にしてしまった。

 「面背がきちんとある」というのは、木型なら「片面ずつの筈だ」というこれも先入観による。

 だが、絵銭でよく使われたハンコ型ではなく、板を張り合わせる方式なら、実際に型取りをする時には面背が合わさっていることになる。

 資料としては面白い品だったが、「こんなものはない」と軽んじたあまり、紛失してしまった。

 この輪幅比のおかしな品を見ると、さらに「しくじった」感が強くなる。