日刊早坂ノボル新聞

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◎霊界通信 R061110 「寄り憑き」の傾向と対策

◎霊界通信 R061110 「寄り憑き」の傾向と対策
 今回の経緯を参考に注意すべき点を考える。
1)最初の接触
 過去に記した通り、幽霊がたかって来ると、それまでには無い兆候が表れる。
 最初の接触の際には、「細い蜘蛛の糸がかかったような感触」を覚える。周囲に建物や樹木があれば、たぶん、「実際に蜘蛛がいて巣を張っている」のだろうが、これが全くない場所で、顔に蜘蛛の糸がかかることがある。手で払っても糸はなく感触だけだ。これが「乗られた」時の初期症状だ。
 ただ、顔や手の甲などでは皮膚の感覚でそれと分かるが、他の部分では、それと気付き難い。腕や脚ではほとんど無感覚だと思われる。
2)物音や声
 多くの場合、幽霊はひとの心に寄り沿う。
 接触して、相手に乗りかかるが、心情に似た要素があればそのまま一緒に居る。だが、合わないと居心地が悪くなり、自分から離れて行く。
 何らかの意図を持ちそのまま居座る場合には、物音を立てたり、声を発したりする。
 今回は二か月半くらい前から、あれもいない二階の廊下で「コトン」と何かが落ちる音がした。居間にいる時に、台所の食器棚で「チン」と食器の当たる音がした。
 いずれも小さい音で、その時は「気のせい」「家の外の音」ではないかと思う程度。
 ここまではあまり気にすることは無い。人間と同じで出会いと別れは付き物で、いつも来たり去ったりしている。
 八幡神社で「膝丈スカートの女」「事務服の女」に抱き付かれたことがあるが、だからと言って何かが起きるわけでもない。
 ただ、この辺が分岐点で、「自分には合わぬ」と見れば幽霊は去っていく。逆に見込まれると、長く居付こうとする。
 目的は「同化」で、ひとの魂の中に入り込み、それと同一化すること。要は自我の強化で、心を支配しようとする。
 このために、揺さぶりをかけ、心を波立たせようとする。
3)悪夢
 眠る度に不快な夢を観るようになる。自分が誰かを罵ったり、誰かに悪意をぶつけられる内容だ。
 過去の出来事を相手側の視点から眺め、悪口を言われたりするが、状況を調べると、それが実際に起きていた事態だったりする。夢に事実が重なる。
4)他者との摩擦
 対人関係が崩れる。
 対面した相手が自分の言葉などに悪意を感じることにより、相手の方も悪意を返すようになる。これは背後に立つ者の心の影響だ。
 時運にはまったく悪気がないのに、一方的に「あいつはこんな悪いヤツだ」と言われる。
5)電子機器(電波系)の不良
 テレビ、ラジオ、スマホ、電話など電子機器に異常が発生する。リモコン機器でも同じ。誤作動が頻発したり、有り得ぬ動作をする。
 「稲荷眷属の僧侶」に祟られたことがあるが、スマホがしわがれた老人の声で「憑いた。憑いた。取り憑いた」と叫んだ。
 後に調べたが、AI音声や音声テストで「老人の声」は存在しないそうだ。
6)不審なトラブルの多発
 提出した書類が行方不明になったり、送金が途中で止まったりする。このため、仕事などに支障が出る。
 私は過去二か月間でPCに4種類の不具合が起き、仕事が出来ず、幾つかを逃した。お寺や神社に行きお務めをしたら、PCが元に戻り、今は何ひとつ問題がない。前項とも関連しているが、人為的なものが含まれる。
7)体調不良
 原因のよく分からぬ体調不良が起きる。
 廃病院の前で事務棟の2階から「誰かが見ている」と感じたが、その日の夜に足の指が腐り、数日のうちに切除措置寸前まで到達した。
 実際に疾患を患っている場合には、急激に症状が悪化する。
 身体要因の病気と区別がつかず、除霊浄霊により、症状が無くなって初めてそれと分かることが多い。
 稲荷の障りを得た時には、心臓が原因とは思えぬのに、総ての医師と看護師が「心臓の外科治療を受けろ」と言った。
 後で聞くと、幾人かは「この患者はたぶん長くもたない」と思っていたそうだ。
 外科治療を受けると、その途中で、危機の不具合か医師の不手際で死んだと思う。これを仕向けている方(幽霊)はそれを望んでいた。
 これらの目的は、生死に関わらず、魂を支配することにある。
 自我は自我で強化されるので、魂を乗っ取り、自分のものにすることで、自我が強くなり霊として延命できる。

 これらへの対処法は難しくない。
1)心構えとして、自分自身で解決する意思を持つこと。
 普段は死後の存在など意に介さぬのにいざ不審事が起きると、神仏や祈祷師・霊能者を頼ろうとする者が多いが、祈祷の圧力で遠ざけられるのは一時的なものだ。
 幽霊は既に死んでいる者なので殺すことが出来ぬし、自分で自我を解放しなければ、そのまま存在し続ける。必ずまた戻って来る。
2)死者に敬意を払うこと
 幽霊(死者)は自分もいずれ向かい、その姿になる存在なので、先輩だと思って礼を尽くす。
 面白がって取り扱ってはならない。
3)恐れぬこと
 幽霊は霊魂の輪廻の1ステップなので、恐れる必要は無い。
 ただ、悪意によって自我を保っている面があるので、扱いに注意する必要がある。人間にも心に悪意を持つ者は沢山いる。
 悪意そのものは理不尽で恐ろしいが、幽霊が怖ろしいものではない。
 恐怖心を持つと心中の波が激しくなるので、幽霊が自我の中に入り込みやすくなる。幽霊が人間を恫喝したりするのは、その目的による。
 異常な事態を感じたら、まずは、慰撫してみることだ。
 自身の信仰に従い、お引き取りを願う。
 私は仏教の信徒なので、「癒し水」を供え、「お焼香」をする。
 「どんな思いで私に寄り添っているかは私には分かりません。助けることが出来ませんので、私から離れて下さい。私に出来ることはお焼香をし水を供えて慰めることだけです」
 これで、症状が軽くなることが大半だ。
 これが利かぬ場合は、「『私の領域に立ち入るな』と警告する」。それでも駄目なら、その時に初めて専門家と相談すると良い。
 祈祷師は技術者なので、費用はそんなに高くない。弁護士費用程度。
 自称「霊能者」はただの夢想家・妄想家のことが多く、費用も高額だ。実際、命に関わることもあるから、悪縁が本物で、霊能者も本物なら百の桁が当たり前だ。命と引き換えの話。
 看護師のキム君は「通りすがりに、霊能者に『あなたの前世は狐だ』と言われたとのこと。アリエネーことを言っているが、それ以前に人間として社会性が欠如していると思う。
 キム君は眼が細く、ただその印象をぶしつけに言っただけ。聞かせたいのはキム君ではなく、隣りにいた信者に自分の凄さを示すのが目的だ。要はデタラメ。
 自称「霊能者」が本物かどうかは、次の質問で分かる。
 「自分で撮影した心霊写真を見せてくれませんか」
 もし霊感が強いなら、山ほど出て来る筈だ。
 ま、そもそも特別な「霊能力」などというものは存在しない。

 ちなみに、手元の画像を「見える幽霊」から「見え難い幽霊」まで段階的に並べてみた。
 最初の方は誰でも認識出来るもので、進行するにしたがって見え難くなる。その場に立っていると、声や物音が聞こえるという付帯状況があるので判断にはその要素が加わっている。
 幽霊が見えるのは特別な霊能力ではなく、五感と心だ。
 幽霊は基本的に「心(感情)だけの存在」なので、見えないのが当たり前。ただ波のように揺れる性質があるので、感情が共鳴することでそれと分かる。
 最後の3枚は、まったく認識出来ぬ人が多いと思う。
 私はどんな顔をしているかまで分かるが、それは「その場にいたこと」「これまでの経験」による。

 

イ)それと分かりやすい人影

そこにはいない筈の人影が写る

ロ)半透明の人影や人体の異変

人に関わるように半透明の人影が出たり人体に異変が起きる

ハ)透明度の高い人影

注視しないと見えぬ程度の人影が立つ

ニ)人間とは思われぬもの

人のかたちをしていないもの

ホ)透明度が高く微かに見えるもの

目視ではほとんど見えぬ人のシルエット

追記)ホの中央について

 認識し難いのは、画像だけで判断しなくてはならないからということ。

 その場に立っている時には、カメラを構えている時に、異常にざわざわする。

 紙垂に隙間があり、そこ奥に眼があるが、実際には存在せず、画像だけに現れる。

 紙垂の後ろではなく前に立っていると思う。

 左側の子どもは、遠目では認識しやすいが、拡大すると背後の岩が眼に入り見えなくなってしまう。岩を見てしまうと消えるのは、「岩の前に半透明で立っている」ということだ。だが、拡大すると、眼があると確認出来る。