日刊早坂ノボル新聞

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◎『怪談』 第6話 「寮に出る幽霊」

◎『怪談』 第6話 「寮に出る幽霊」

 「怪談」シリーズを再開することにした。

 

 若い時に一年だけ寮生活をしていた時期がある。

 そこは新築の三階建ての寮だったのだが、そこには最初から幽霊が出た。

 私自身も実体験がある。

 

 その寮は三階建ての各階に三畳の広さの小部屋が30数室あったから、寮生は全体で百名前後だったのではないかと思う。

 勉強が目的なので、部屋にはベッドと机、小さいロッカーがあるだけだ。

 食堂があり、朝夕の二食は提供され、風呂は共同の大浴場がある。

 夕方八時を過ぎると、入浴は終わりで、各室でテレビを観ることも、他の寮生と会話をすることも禁止。要するに「とにかく勉強すること」という体制になっていた。

 私はその寮の二階の一室にいたが、山の斜面を崩して造成した建物なので、地面(山の斜面)までは二㍍程度だった。

 

 まだ五月頃だったと思うが、夕食の後、部屋に戻り、ベッドに横たわると、そのまま寝入ってしまった。

 小一時間くらいは、そのまま熟睡していたが、「声」に半分起こされた。

 窓の外から「かやかや」と声が聞こえて来る。

 「また屋上で騒いでいるのか」

 部屋での雑談を禁じられているので、屋上に行き、そこで話をするついでに酒を飲む。

 そういう寮生が数日前に見付かり、問題になったばかり。

 「性懲りもなく、未成年なのにまた酒飲んでいるわけだ」

 再び眠ろうとするが、よく寝付けない。

 そのうち、また「ぶつぶつ」と呟く声が聞こえて来る。男の声だ。

 目を瞑っていたが、声が気になって眠れなくなる。

 

 ついに完全に目が覚めてしまい、両眼を開いた。

 私は頭を窓に向けて寝ていたので、すぐ頭の上に窓ガラスが見える。

 その摺りガラスの上の方に、白くぼんやりした顔が見えた。夜なので外は暗いのだが、建物に沿って街灯があるから、その光が反射していたらしい。

 「うわあ。声を出していたのはコイツだ」

 とんでもない話だ。

 他の寮生が私をからかおうと窓の外に立ち、声を掛けていたのなら笑えるが、そんなことはあり得ない。この寮の部屋の窓には、手摺りも桟もついていないから、足場にするものが一切ない。

 要するに、この男は「空中に浮いている」ということ。

 

 そこからは、一切、体を動かせなくなった。

 いわゆる「金縛り」だが、コイツはほとんど半覚醒状態の時に起きるものだ。

 この時の私はもはやすっかり目覚めていた。

 

 それから、どのくらいの間だったのかは分からぬが、私はその男の顔を見ながら、ぶつぶつと嘆く声を聞いていた。

 「どうしてこんなことになったのか」

 「あの時、俺は※※※を※※※していればよかった」

 みたいな「悔い」や「嘆き」の断片的な話をずっと聞き続けた。

 長い時間が過ぎ、ある瞬間に手足が動かせるようになった。

 そこで、男から逃れようと、ドアの方に向かおうとしたのだが、あまりの恐怖に腰が立たない。

 (人生で腰が立たなくなったのは、中学生の時に「山伏」に立たれた時と、この寮にいた時の二度だけだ。)

 そこで、私は床に両手両足を着いて這いつくばり、ドアの方に四つん這いになって進み、部屋から逃れ出た。

 

 まだ午後九時頃だったので、目覚めている寮生も多く、洗面所で息を整えていると、幾人もがそこを訪れた。

 こんな話を他人にすると、「変人」と思われかねぬので、私は誰にも話さず、恐怖心が和らぐのを待って部屋に帰った。

 こんなことがあったので、それからは、夜中じゅう起きて勉強をし、周囲が明るくなってから眠るようになった。

 

 以上は前振りで、これからが本番だ。

 こんな経験をしたのが私だけなら、「世間に時々あること」の範囲の話だ。

 成長期だったし、心身のバランスが崩れているから、いろんな経験(妄想)を自ら創り出す。

 だが、同じような経験をした者が他にもいたようだ。

 六月の終わりに、百数十人の寮生のうちの一人が自死した。なにも書き残してはいなかったのだが、日頃から「蓄膿症でよく勉強が出来ないと悩んでいた」と話していたので、きっとそのせいだと皆が噂した。

 夜半に感電死したのだが、見つかったのは翌日の午後だ。遺体は死後硬直で捻じれていた。救急車を呼ぶまでもなく、明らかに亡くなっていた。

 部屋で棺に納められ、玄関から出棺したのだが、その時の私は棺を眺めながら「本人の意思で自死したのではないのではないか」と思っていた。

 息子を失くし、親御さんはさぞ嘆いただろうと思う。

 

 異変は夏になっても続き、複数の寮生が「あれ」を経験していた。

 私のように「窓の外に立たれた」者も居れば、「ドアの前に立たれた」者も居る。

 

 七月末のある日のことだ。

 私は他の寮生の部屋で話していたから、まだ午後八時になっていなかった(八時以降は部屋外活動禁止)。

 すぐ向かいの部屋から「ぎゃあああ」と大きな声が響き、それに「がっしゃーん」と窓ガラスが割れる音が続いた。

 何があったのかと出てみると、向かいの部屋の寮生が、もう一人の脚を見ている。

 その寮生の膝下からは血がだらだらと流れていた。

 部屋の主に事情を訊くと、「隣のコイツがガラス窓を蹴破って、俺の部屋に飛び込んで来た」とのこと。

 それを聞き、私はすぐに「ドアの方に立たれたのだ」と理解した。

 幽霊が目の前に立っているが、逃れる場所は窓しかない。そこでその寮生は窓を開け、隣の部屋の窓ガラスを蹴破って移った。

 脚はその時に怪我をしたわけだ。

 怪我をした寮生は、「大丈夫か」と声を掛けても、一切答えず、ガタガタと震えている。

 パジャマが濡れて居り、小便を漏らしていたのが明白だ。

 

 隣の寮生は「あれ」を経験したことが無かったようで、「夢でも観たのか」と声を掛けていた。

 「夢」だと(笑)。世間でいう「金縛り」程度の話など、まるで比較にならない。

 現実に「そこにいる」という確信がある。

 そもそも、その寮生が異変に気付いたのは目覚めている時だ。机に向かって勉強をしている時に、ふと気配を感じ、後ろを振り向いたら、そこに「あれ」が立っていたのだ。

 

 当時、他の寮生にも話を聞いたが、少なくとも十数人から二十人くらいが「あれ」に会ったようだ。

 当時の噂はこう。

 「この寮は、前に山全体が墓地だったのを半分崩して建てたものだ。恐らく寺が破産して、借金のかたに取られたのだが、その新地主が墓所の移転の段取りをきちんとやらなかった」

 世間の印象とは違い、病院と墓地は幽霊が最も出難いところだ。病院には執着する要素が無いし、墓地は眠るところで、双方ともそこに念を残す場所ではない。

 ちなみに、私は体感的にそのことを知っていたので、郷里に帰った時には、夜中の十二時頃に独りで墓参していた。怖いのは墓地ではなく、周囲が暗いので躓いて転んでしまうことだ。

 だが、然るべき手続きをせず、墓地を崩したなら、話は別だ。

 眠りを妨げられれば、死者だって怒ろうというものだ。

 

 さて、怪談の本題はこれからだ。

 どんな状況でも、それが毎日起きていることなら、人は次第に慣れてしまう。

 この年が終わる頃には、すっかりこの状況に慣れてしまい、私は夜中にはほとんど起きていた。もちろん、時々、周囲の気配を確かめる。

 ざわっとした時には「今は勉強しているから止めてくれ」と言葉に出して言う。

 存在を意識して、人と同じように対処すると、案外、幽霊は悪さをしない。

 そのことに気付いたのは、この頃のことだ。

 

 他の寮生も概ね慣れ、夜中に脱走した。禁止事項だから、舎監に見付かればどやされるのだが、窓から出て、墓石の間を通って行けば、まずは見つからない。

 街道に出ると、ラーメン屋の屋台が車を停めていたから、ここでラーメンを一杯食べる。

 これが一部の寮生の楽しみだった。 

 寮生(未成年)の中にはきっと酒を飲んだ者もいただろうと思う。

 

 さて、本当に怖い話はこれからだ。

 その年の冬にある事件が起きた。目の前の街道筋に店を出していた屋台の店主が人を殺し、何を思ったか、その被害者の手首をスープの出汁に使った(「手首ラーメン事件」)。

 恐らく処分に困り、証拠隠滅のためにそうしたのだろうが、気付かずにそのラーメンを食べさせられたものが複数いる筈だ。

 よって、その報道が流れた時に、一部の寮生の間で大騒ぎになった。

 それが「※※街道の※※市の※※交差点近くに出ていた屋台」と、テレビが伝えたからだ。

 「もしかして、俺たちが食っていたのは・・・」

 事実を知りたくない気持ちもあるが、私はそれを詳細に調べてみた。

 すると、その手首事件の屋台は、寮のすぐ前ではなく、数百㍍離れたところに出ていた屋台だった。

 「よかった。本当によかった」と胸を撫で下ろす瞬間だ。

 

 寮を出た時には、やはりほっとした。「これでもう窓ガラスの外に立たれずとも済む」ようになると思ったからだ。夜にもゆっくりと眠れる。

 その後、その寮の生活のことは「あまり思い出したくない記憶」として、数十年間も忘れたままだった。

 数年前、「ウン十年後のあの場所はどうなっているのか」と疑問に思い、あの地を訪ねたことがある。

 「あの時の忌まわしい記憶」から完全に解放されることと、駅前にあった町中華が残っていれば、その店で「天津丼」と「海老炒飯」を食べるのが目的だった。

 ※※街道沿いに歩いたのだが、しかし、あの寮があった辺りには、大きなマンションが建っていたようだ。墓地の山半分もすっかり無くなっていた。

 聞くところによれば、あの後、しばらくしてその寮は売却され、ある専門学校の寮になった。

 その後二十年くらいして、解体されたようだ。

 駐在に聞いてはみたが、既にそのことも今では分からない。

 町中華があった辺りには、別の店が建っていた。

 

 以下は、実際にあの地の近くを通った時の感想だ。

 今は墓地も寮も無くなり、巨大なマンションが建っている。

 だが、前ほどではないにせよ、あそこでは今も幽霊が出るのではないかと思う。

 いざ拗(こじ)らせると、そこを浄化するのは、一筋縄では行かなくなる。

 

 その地にまつわる怪談を探したことがある。寮があった頃には数例あったが、その後の話を検索することが出来ない。何も出て来ないのだ。 

 怪談は「結末がハッピーエンド」だから他人に話せるわけだが、仮に「語る口が無くなってしまった」のなら、世間に広がることもない。

 また、この地に住むようになり、いち早く「あれ」に気付いた者は、さっさと逃げ出したと思う。

 私の同期の寮生は、百人くらいのうちの十数人が経験したから、一般の人でアンテナが張っている人の割合もそれくらいだと思う。その他の人は異変に気付かぬのかもしれん。幽霊は「ひとを選んで現れる」と言うが、人の方に検知できる人と出来ない人がいるのかもしれん。存在に気付かなければ、「いない」のと同じことだ。

 私の経験した状況で、仮に最初の「声」に気付かぬのであれば、きっと朝まで眠ったままだ。

 

 私は「最寄りの駅に降りるのも避けていた」時期が数十年とあるが、今はその駅が平気になった。

 だが、あの地に踏み入れるのはやはりお断りだ。

 見ず知らずの者ならともかく、私は相手にとって「旧知の者」だ。いざ目の前にすれば、わあっと寄って来ると思う。そうでなくとも、今は頻繁に持ち帰るようになっている。

 

 物語として、スッキリしないのは、これが実体験だからということ。

 今はある程度対処できるようになっているが、何十何百と懲り固まっているのでは、さすがに分が悪い。