◎夢の話 第971夜 沢山の手に掴まれる
18日の午前三時に観た夢です。
目前の霧が少しずつ収まり始めた。これまで眠っていたのだが、徐々に目覚めようとしているらしい。
俺は茣蓙のような敷物の上に仰向けに寝ていた。
ゆっくりと感覚が戻りつつあるのだが、手足が動かない。
まるで誰かに両手両足を掴まれているような感触だ。
そこで無理やり視線を下に向け、状況を確かめようとした。
すると、現実に俺の右足を太くてごつい手が掴んでいた。
左足に目を遣ると、こっちも同じだった。
「となると・・・」
さらに首を起こし、腕の先を見ると、やはり俺の手首を誰かの手が掴んでいる。
床から手が出て、俺を掴まえていたのだ。
「ややコイツは不味いな。こいつらは到底、人間ではない」
そのことに気が付くと同時に、一斉に数十もの手が湧いて出て、俺の体の隅々を掴んだ。
「これは金縛りとは全然違う。一つひとつにはっきりした意思がある」
どんな理由でこんな事態になったのか。
これでは、程なく地獄の底に引き込まれてしまいそうだ。
「淡州。たんしゅううう。俺はお前に殺された者だあああ」
その声で、俺は漸く理解した。
「この一年で俺は幾度も合戦を経験し、敵の兵士を幾百と殺している。あるいは千を超えて居るやも知れぬ。そ奴らが冥土に行けず、俺のところに集まって来たのか」
周囲から「おお」とも「ああ」ともつかぬ呻き声が沸き上がる。
夢を観ていた本物の俺の方は、この展開にほっと撫で下ろした。
「ああ良かった。これは現実ではないや。俺は小説の筋を考えていたのだ」
既に最終章で、釜沢館が大光寺左衛門に攻撃される前の日まで来ている。
釜沢淡州は上方軍や南部軍に敵対する意思を示していなかったのに、「状況と展開のあや」のために滅ぼされてしまう。
この描写を書くのが難しいから、寝ている間もあれこれ考えるわけだ。
ところで、現実にこれと似た体験をしていると、「また来たか」と見なしてしまう。
「あの世」を想像や妄想の産物と見なして、笑っていられるのは、「死神が眼の前に立つ」その瞬間までのこと。
殆どの人は、「死後の存在が現実にある」と理解した直後に、この世を去る。
実際に「死神」に対面したことのある者は、それでは取り返しがつかぬことを知っているから、一つひとつの出来事を「あの世」と関連付けて考えてしまいがちになる。
最も戦慄するのは、あの世の存在(幽霊)は、「まるで人間臭くない」ところだ。
怨念とか恨みとかは生きている者の理屈だ。
幽霊の心の中は、深くて暗い穴のような闇だ。人の「怨念」や「恨み」は「出す」ものだが、幽霊のそれは「引き込む」ものだ。