日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎昨年十一月下旬から十二月の「あの世現象」

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令和二年十一月のあの世画像

◎昨年十一月下旬から十二月の「あの世現象」

 例年、十月から十一月が幽霊が最も姿を現わす時期で、そのうち十一月中下旬がピークになる。

 年に千枚以上の写真を撮影するが、そのうち「あの世に関わっていそうな画像」は百枚前後だ。他人が撮影した画像に、テキトーな能書きを付ける自称霊能者はいくらでもいるが、自分で撮影したものを見せてくれるものは居ない。

 事実として検証可能にするには、「自分で撮影し、かつ説明のうまくつかぬ画像を抜き出し、それを検証する」というステップが必要だ。

 これ以外に、「あの世」すなわち、「肉体が滅んだ後も、自我・自意識が一定期間残存する」という説を実証する術はない。

 そのことは、反論を封じる手立てにもなる。「では、あなたもあなたの説を自ら実証してみせろ」ということが出来るからだ。

 「本物と見なす」にせよ、「単にたまたまの出来事と見なす」にせよ、科学の基本は「そこに規則性があること」、すなわち同じことが再現出来るかどうかにかかる。

 今後、何か私にコメントを付けたい者には、「では同じものを出して見せろ」と言う。

 あの世を語る研究家にせよ、それを否定する自称科学者にせよ、ひとりもこれをきちんと実証したものは居ない。少なくともその検証努力をすべきだ。

 その意味では、私はあの世を肯定する側と否定する側の両方について、「そもそものスタンスが間違い」だと思う。

 

 とにかく、一つひとつの事実を事実として積み重ねることが重要だから、記録にこだわり、それを残している。

 その意味では、確実に一歩進んだのが昨年の秋だ。

 冒頭は幾度も公開して来たから、既にお馴染みとなった画像だが、男性の頭部には「絶対にそこにはいない筈の女」がしがみついている。

 ちなみに、こういうのは「怨念」とか「呪い」などとは無縁なので念のため。

 幽霊は「自我の存続」のため、死者、生者の別なく、他の自我との同化や合体を試みる。こういう風に取りつくのは、感情を共有することで、心を重ねるステップのようだ。

 要は、幽霊は「消滅したくないから、生き残りを図っている」ということだ。

 

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 私にとって、この時期にひとつ問題となったのは、「私に似せた幽霊」を発見したことだ。サングラスをかけ、カメラを持ち、私とほぼ同じ姿勢で、ぼんやりと立っている。よく見ると、服装や髪形が微妙に違っていたりするから、私の像が二度写り込んだものではない。

 その時は「もしやこれが本当の意味でのドッペルゲンガーというものか」と考えた。

 「ドッペルゲンガー」は、まさに「死の使い」であり「お迎え」と同じ意味だ。

 これが現れると、「数か月内に死ぬ」というのが伝説になっている。

 だが、よく調べると、前年にも前々年の画像にも似たようなものがいる。

 それに、かつて私は正真正銘の「お迎え」にあったことがあるから、「今更驚くようなことではない」と思うようになった。

 死期は「手立てを尽くせば、幾らか遅らせることが出来る」ようだ。

 これは私が他の人に残せる「朗報」のひとつだ。

 だが、見ての通り、私は四六時中、警戒して暮らしている。

 「何故そこまで」と思う人は多いだろうが、私はどのように相手が来るかを知っている。

 たった一瞬の気の緩みでしくじるし、もししくじれば、即座にこの世を去る。

 これまで誰一人として、「死ぬ時には実際、こうなる」と戻って来て伝えた者はいないのだ。そして、これを見ている皆さんの中には、私のように現実に「お迎え」に会った者はいない。

 (もし居れば、必ず私に連絡すると思う。)

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 生きている者の「後ろに人影が立つ」くらいは、誰の身にも日常的に起きている。

 別にどうということはない。

 だが、もちろん、警戒を怠ってはならないし、あの世を軽んじてはならない。

 常に敬意を示し、感謝すべきだ。相手はひとつ先に進んだ先輩たちだから当たり前のことだ。

 これを怠ると、「死んだ後に、ちと都合の悪いことが起きる」。

 その時には、もはや修復は出来なくなっている。

 

注記)所用があり外出するため、一発書き殴り。誤記はあると思う。