日刊早坂ノボル新聞

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◎この数年で最も衝撃を受けた幽霊画像

 

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令和元年十一月二十九日撮影

◎この数年で最も衝撃を受けた幽霊画像

 この数年で、「あの世(幽界)」に関するそれまでの考えを一新させることになった出来事がある。 

 これがその時の画像だ。特に怖ろしいわけでもなく平坦な絵面だと思う。 

 この画像を撮影した時には、周囲に人がいないのを二度三度確認したうえで撮影した。だが、画像を確認すると、ガラス面の私のすぐ隣に老女の姿が映っていた。

 ジャケットなのか韓服のような着衣で、私のすぐ近くに立っている。体のサイズで言えば、私の前なのだが、私の肩で姿が消されているので、すぐ後ろということだろう。

 うっすらとした人影なのだが、これは誰にでもそう(老女)見える筈だ。

 

 さて、「最も衝撃を受けた」のは何故か。

 それは、この老女(の人影)がごく普通の佇まいをしていたことだ。

 近所の人がたまたま「ちょっと拝みに来た」ような雰囲気だ。

 これは疑う余地のない「幽霊」画像だと思うが、幽霊特有の「恨み」や「憎しみ」「嘆き」や「悲しみ」といった負の感情をまったく感じさせない。

 むしろ、自分の近くに何かの存在(ほぼ私)を初めて感じて、「驚いた」ような表情をしている。

 

 「もしかして、ごく普通の人でも、死ねば幽霊になるのではないか」

 そのことを示唆する画像なので、衝撃を受けたのだ。

 簡単に言えば、「誰でも幽霊と言うステップを通る」ということだ。

 まったく、「そんなの、聞いてないよ」と叫びたくなる事態になる。

 

 もし必ず通過するステップのひとつなら、なるべく無難に通り過ぎるための準備をして置く必要がある。

 多くの人が「死ねば終わり」みたいな考えをしていると思うが、「死んでも終わらない」ことから、生き方を立て直す必要がある。

 生前の負の感情を捨て、生に執着せずに自我を解体すれば、おそらく幽霊のまま留まる期間が短く済むと思うが、場合によっては、何年、何十年も幽霊のまま留まるケースもあるようだ。

 あの世ではルールを知らなくとも、アウトはアウトだ。免罪にならないのだ。

 

 死んで幽霊になることは、けして怖ろしい話ではないのだが、「予備知識なし」、「してよいこと悪いことが分からない」、「どっちに進むべきか分からない」状態では、その立場に立ったら、為す術もなく佇むだけだろう。