日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎自身の状況を確かめるための「あの世撮影」の方法

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あの世(幽界)の簡単な撮影方法とその結果(事例)

◎自身の状況を確かめるための「あの世撮影」の方法

 最初にお断りするが、この件はあまりお勧めしない。

 面倒なことが起きる場合もあるからだ。とりわけ、好奇心から立ち入ると、相手を苛立たせることがある。滅多に無いが、不都合な出来事が生じる場合もある。

 その場合は、自身で解決する方法を見付けねばならない。(この道筋は、人によって手段が異なる性質のものだ。)

 だが、「自分の眼で確かめたい」という人も必ずいると思う。私がその一人で、基本的に他人の話を信用しない。(そのせいで、結構、しんどい目に遭った。)

 

 あの世画像(世間的に言う心霊写真を含む)を撮影するには、これからの季節、すなわち九月の終わりから十月、十一月がひとつ目のヤマになる。(その次が一月頃。)

 これはおそらく日差しの角度の関係だろうと思う。

「晴天の午後二時頃から四時半頃に、東向きのガラス窓に自分を写し、それをカメラで撮影する。」

 たったこれだけだ。ガラスの無い場所でも写るが、これは光の量と角度、湿気等の関係で、上手く撮影出来る条件があるかららしい。この他にガラスに反射した景色は、紫外線等の光線を変えたものだから、それとも関係がありそうだ。赤外線カメラで撮影出来たりするから、要は人間の可視域を超えた範囲にまたがっている。

 そして、もちろん、カメラは感応する波長域が人間の視覚より広いので、目視するよりも捉えやすくなる。 

 

 撮影に慣れるまで、ある程度の回数が必要で、かつ殆どの画像が不鮮明だ。

 また、相手は「その場にいる者を偽装する」ことがあり、目立たなくなっている。そこで、同じ場所、同じ位置で撮影するなど、小さい変異でも見落とさぬよう工夫する必要がある。

 

 もし自分自身に何か変異が生じていた場合には、内容に応じ対処が必要になることがある。

 これまでの経験で言えば、「幽霊が直接的、物理的に何かを仕掛けることはあまりない」と考えて良い。ホラー映画や小説みたいなことは「原則として起きない」のだ。

 最後の画像では、おどろおどろしい女が男性に「取り憑いている」ように見えるが、それが何かの事件に直結することはない。

 幽霊は専ら、心(感情)に働き掛けるから、気持ちを高揚させたり、悲しみを増幅したりする。それを現実の生活に反映させるかどうかは、当人の心にかかっている。

 ただ、自分のものではない筈の感情なり意思を、当人は「自分の頭の中で起きている」と錯覚するきらいがあるから、それに影響されてしまうことがある。

 

 幽霊(悪縁)は、自身の抱える感情に近しい別の幽霊や生きた人間に寄り付き、その感情に同調し、同化し、ひいては自我を合体させる。

 それを放置すると、「どんどん深みに嵌る」事態となるから、自身の本心を見極め、「自分らしい自分」を保つことが大切だ。

 そのためには、「時々、自分の状況を観察」し、「(あの世的な)異変が起きていないか」を確かめることが役立つ。

 

 ただ、原則を忘れると、必ず報復が来ると思った方が良い。

 怪談話なら娯楽で済むが、現実の幽霊を弄ぶと、人間と同じように腹を立てる。

 これを避けるためには、必ず原則を守ることだ。

 「必ず死者に敬意を示すこと」

 「好奇心から弄ばぬこと」

 そして、相手と自身との間に「境界を持つ」ことだ。これは「住む世界が違うのだから、お互いに極力立ち入らぬようにしよう」と伝え、自身でもそれを信じることだ。

 

 より具体的な例では、昨日、「廃社に若者が入り込み、フェンスを壊した」という事件が報道されていた。いわゆる心霊スポットを遊び半分に訪れたものらしい。

 状況的にはこう。

・廃社なので、そこに神はいない。

・神社の周りには、様々な幽霊が集まるが、神社自体がご神体を返納しても、周囲に幽霊が残ったままでいることがある。

 その結果は簡単なことだ。

・建物を破壊した若者たちが家に帰る時には、掲示した九番目の画像のように、邪な霊に抱き付かれている可能性がある。

 ま、そこに「行こう」と考えた時点で、既に傍に「何か」がいる筈だ。 

 

 生きているうちは、自我が肉体によって守られている面があり、自他の区別は肉体の感覚で分かる。だが、肉体を失い、防護壁が無くなると、あっさりと悪縁に絡め捕られてしまう(同化・合体される)。現世にツケを残せば、必ずあの世(幽界)で払うことになるのだ。

 加えて、子や孫に悪影響を残すこともある。

 人間の多くは、心に悪意を抱えているが、その人自体が悪とは言えぬし、人間という存在総てが悪だというわけでもない。これは幽霊にも当て嵌まる。

 生者は、死者の恐ろしい面だけを見てひたすら恐怖心を覚えるわけだが、前回の記事に記した通り、幽霊自体は「誰もが通過する1ステップ」に過ぎない。

 怖れる必要などは無く、きちんと「先輩として敬意を払う」姿勢を持てばよい。

 

 最後に裏技だが、「気味が悪いと感じたら、丁寧に頼む」と、幽霊は割合、あっさりスルーしてくれる。

 「私はここを通りますが、あなたを煩わせるつもりはありません。すぐに去りますので通らせてください」などと、人に対してするように丁寧に頼むことだ。

 もちろん、これは呪文・祝詞ではないので念のため。(ただ「唱えれば良い」という性質のものではないということ。)